佐藤

イノセンスの佐藤のレビュー・感想・評価

イノセンス(2004年製作の映画)
4.5
「人間はなぜこうまでして自分の似姿を作りたがるのかしらね」
ハラウェイ検屍官の言葉がたいへん印象深かった。
人形と人間との間に投げられた問いではあるが、同様に神を人工物とするニーチェ的な視座にたてば、それらとの間にも投げられた問いだったのかもしれない。

愛を理解(「おおむね願望に基づく」)できないサイボーグであるバトーと、非サイボーグの所帯持ちであるトグサとの対比がありありと描かれている。
立場の不利を鑑みず犬を飼うことはバトーにとって、愛を知りたいという胸の内の現れであったように思える。さらにいえば、わざわざあの奥まった小売店でしか買えない(近場ではそこにしか売っていないようだった)ドッグフードが必要な犬を飼っていることからするに、「交配に人工授精を使った最初の犬種」という点にシンパシーを感じたのだろうと察する。

本作の難解な点として、プラトンや世阿弥、ロシュフコーなど歴史的賢人らの文章が非常に多く引用されていることが主として挙げられる。
この点はたしかに実験的な側面を少なからずもっており、(またそこから漂う”あからさま感”もあって、)容易には受け入れ難い。しかし、だからといって「つまらない」「普通に話せ」とのたまうのは些か軽薄ではなかろうか。
自分の尺度で物事をはかり、押し付け、果ては「感想は人それぞれ」といって相対主義の濫用。こういった輩は無闇やたらに規制を増やし、芸術やエンターテイメントの可能性を、己の浅はかな”正義感”で狭める過剰なクレーマーと全くの同類であることに気づいてほしい。
アニメーション、映画作品の登場人物は必ず”普通に”話さなければならないのか。鑑賞者に分かりやすいような作品づくりを心がけるべきなのか。それでは作品でも何でもなく、単なる商品だろう。資本主義の世の中なんだからと言ってしまえばそれまでだが、分かりやすい諸物が蔓延るこの世の中で本作のような作品の存在は刺激的で面白いと私は思う。もう少し、分かりにくさに対して寛容になってほしい。「分かりやすい」で失われるものも多分にある。

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改めて本作の難解な点に言及するとすれば、会話中の引用の多さは本作が扱うSF世界に由来しているのかもしれない。この世界の人間(全てではないかもしれないが)は、脳内で膨大な情報にアクセスできるため、引用でのコミュニケーションさえ円滑に行うことができる。そういった特異な面を強調したかったのだろうか。あるいは単に俗っぽさからの脱却を図ったか。

読み苦しい私感の数々を述べ連ねたが、前作として扱われる『Ghost in the shell』同様、映像面・音楽面・脚本面全てにおいてみごたえのある作品だと感じました。
佐藤

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