がんがん

イノセンスのがんがんのレビュー・感想・評価

イノセンス(2004年製作の映画)
4.0
在宅勤務期間がついに4週間を越えました…

スーパーとコンビニの人としかろくに対面していないので、通常勤務に戻ってちゃんと商談とかできるのだろうか…なんかリハビリが必要な気がする…

31日まで延長とのことで、まださらに一ヶ月も続くのかと思うと病みそうになりますが…

いまこそ価値観のパラダイムシフトが必要なんだろうな、と思って頑張って耐えています。


GWも大阪へ帰るのはやめておきましたので、奥様にもずっと会えず、親にも姪っ子たちにも会えず。

なのでリモート帰省をやってみました。

晩ご飯を食べながら、TV会議で1時間くらいみんなでワイワイ。姪っ子たちの元気な姿も確認できて一安心。

みんなが一気に喋ると何がなんだかカオスな状況になりますが、めちゃめちゃ楽しかったです。



アフターコロナの世界。

きっとありとあらゆる価値観が一転するのでしょう。


2月20日に高須氏とドクター中松がフェイスガードを着けてる写真がTwitterでバズってたのですが、コメントを見返すとサンバイザーかよ、みたいな感じで笑ってるコメントが多くて。わたしも当時その写真を見た時は笑ってしまって。

でも今や、フェイスガードは医療の現場では当たり前になっている。数ヶ月前は自分が笑っていたものが、現場でたくさんのいのちを守るために活用されている。

自分の価値観なんて、世の中の流れとともにほんの少しの時間で一転する。絶対という価値観なんて無いんだと思い知らされる。


投資の神様と言われているウォーレン・バフェットという方がアメリカの航空会社の株を全て手放したそうです。3年後、人々が飛行機に乗って世界を移動している世界はもう想像できない、とのこと。

本社に集まって会議、なんてのはもう無くなるでしょうし。出張という概念も減るのでしょう。

打ち合わせは可能な限りリモートで。そもそも本社、営業所、支店、という概念も無くなるかもしれません。自宅である程度の仕事がカバーできる業種が増えていくのでしょう。

本当に現場でのお仕事は、必須の業種に絞られていき、無駄な移動が無くなって、何時間働いたかの評価ではなく、適切な時間で最大限の成果を生み出せたか、より生産性という評価基準が高まっていくのかもしれません。


東芝が在宅勤務と時差出勤以外の対策として、週休3日制を導入するそうです。

より限られた時間で人と工場という大切なリソースをどう稼働させるか。本当の意味での働き方改革が始まっていますね。

なので、世界が一転したその時に、その価値観についていけなくならないように、今たくさん勉強をしたいと思います。この耐え忍ぶ期間を無駄にしないように。

時間は無限ではない、有限である。

世の中には絶対的な価値観なんてない。

毎日を無駄にしないように、ステイホームを頑張り続けたいと思います。



さて、本作ですが。

2032年が舞台だそうです。

現実の2032年、令和14年にこんなサイバーパンクな世界が本当にやってくるのだろうか。

人間が人間としての肉体を持っていない世界。

ほぼ全身サイボーグのバトーは生身の犬を飼い、まだ肉体を保持していくトグサは子供を育て、義体すらも放棄した草薙素子はもはや高次元的な概念の存在となる。

自分が生きる意味や、いのちの価値を何に求めるのか?何に置き換えるのか?

前作ゴーストインザシェルに続き、より哲学的なセリフが多く、すべてを咀嚼し切れてはいませんが、何のために人間は生きるのか、ということが本作の主たるテーマだと解釈しました。


コロナ禍の中でひしひしと感じていることは、人間は生きるためには生きてはいけないのだな、ということ。

働く方法をコロナに奪われ…

大切な娯楽をコロナに奪われ…

たくさんのいのちをコロナに奪われ…

奪われてしまったものは取り返すしかありません。新しい生活様式とともに。自分一人から始められることから。


精一杯毎日働くことに喜びを感じ。

ご飯を食べられることに有り難みを感じ。

休みの日には好きな娯楽を心の底から楽しむ。

ただ生きるためだけには、生きてはいけない。何かを楽しめるからこそ、何かを求めるからこそ、生きていけるのだろうなぁ、と思いました。



コロナで学んだこと。

陽性と陰性。ずっと覚えられなかったのがさすがに毎日見ているので、嫌でもどっちがどっちか覚えられました。

収束と終息の違い。一時的に落ち着くことが収束。完全に物事が終わることが終息。収束ののちに、終息が待っている。

コロナ禍←うずじゃなくて、か。コロナ渦でもコロナ鍋でもコロナ蝸でもなくコロナ禍(ころなか)禍とはわざわいや、その原因となる出来事をさす言葉とのこと。
がんがん

がんがん