ありがちな二匹目のドジョウ的邦題は不幸でしかないが、随所で原題のWritten on the windが流麗に演出されている。オープニングタイトルで風は尋常でない量の枯葉を邸宅に呼び込み、卓上日めくりカレンダーを一年前に捲り戻すところから唸る。
テクニカラーはサークによって人工の凄みをもち、ホテル内のピンクからモーブ、窓外の海を反射する青の移り変わりが異常なまでに美しいし、街並みも完璧に人工を帯びていて見惚れる。
自社の石油コンビナートを背景に車を走らせるところだけテクニカラーの魔法が解けてアントニオーニみたいになってた。
思い出の呪縛から逃れることができないし、父の期待にも添えず、すべて持ってるのに自分自身には何も無いと思い知らされる劣等感の塊である兄と妹、とくに兄役のロバート・スタックの見開かれた碧眼はつねに他責的などうしようもなさを表しており、女性が持つようなピンクゴールドの小さな銃を枕下に忍ばせていることは、子ども時代からのコンプレックスに加えて彼の精子までも弱かったという同情しかない負を背負わされる小道具となる。スタックが父の銃を手にロック・ハドソンと対峙する構図には、父の肖像が共にある。
妹のドロシー・マローンも水辺で子ども時代を回想するというかほとんど妄想のようなモノローグとともに表情の百変化をみせる。本作は彼女の独壇場のようなところがある。
兄妹への演出の凄みを十二分に感じさせるだけに、主役の美男美女二人が霞んでゆく。さほど自立心の強くないこの役はローレン・バコールでなくてもよかったのでは…