このレビューはネタバレを含みます
思えば修行というものは、空間に場所性を生み出す行為なのだなあと。
少林寺の寺院内で行われる修行には様々な形式があって、例えば生えている木を利用して拳を打ち込んでみたり、あるいはただひたすらに跳躍を繰り返したり、または生活に根ざした営みそれ自体が修行としての性質を孕んでいたりもするワケです。
そうした行為が年月をかけて反復される事により、少林寺寺院という空間には修行を通して人の想いが累積し、その想いによって空間は固有の場所性として塗り替えられていくのだと思ったのです。
今作はそうした「場所性」がカンフーとなって炸裂していくワケなんだけど、そこにチャン・チェの陽剛スタイルがミックスされる事で、血に染まった寺院は炎に包まれて結局空間そのものが崩壊してしまう。
ただし空間としての少林寺は失われても、場所性に残存する想いは武術として生き続け、再び新たな空間へと広がっていく様を示すラストがこれまた泣かせてくるワケで、陽剛的な悲惨さによってむしろ希望を浮かび上がらせるという見事な構成にYARAREました。
それにしても、フーシェンにティ・ロンにデヴィッド・チャン、そしてカンフー界の「嵐」であり「SMAP」である事が古代エジプトの壁画にも記されている、ショウ・ブラザーズの「五毒」メンバーもサン・ジェン以外は全員集合しているという俳優陣の豪華さはハッキリ言ってどうかしていて、習近平が見たら倹約令で即刻処分されると思う。