ピュンピュン丸

わが谷は緑なりきのピュンピュン丸のレビュー・感想・評価

わが谷は緑なりき(1941年製作の映画)
3.9
『名作』だが、素直には感動できない。

『炭鉱労働者』の悲哀。今でいう超ブラック、ちょっと前の言い方なら3Kの仕事を父子でやり続けた良心的で素朴な一家の顛末…。冷めて解釈すればそうなる。そもそも、資本家は金はかけるが、命は賭けない。だから危険な仕事は賃金を払って他人にやらせるのだ。雇い主に感謝し従順になるのも程々にしておいたほうがいいと思う。聖書の教えも、資本家にとっては労働者を羊のように大人しくさせるための手段にすぎない。

それに気づいた子供たちのほうが実は自然だし、勇気ある正しい行動なのだ。だからあそこで親は子の言い分に聞く耳を持つべきだった。一つの業種、まして一つの会社にしがみついて安泰なんて、逆に虫が良すぎる話だ。現実はそんなに甘くない。

あの牧師と父が典型だが、何でも聖書の教えに還ろうとするのは如何。思考停止しているのと同じではないか。

お姉さんは何のために、恋人だった牧師を振り切り、いけすかない工場主の息子と結婚したのか?炭鉱労働者たちの待遇改善、少なくとも自分の実家くらいは優遇されるよう働きかけるべきだ。惚れられて結婚した強みを活かすのが、彼女の使命だったはずだ。

そして、一番の被害者は主人公の男の子。折角の学問も役に立たず、社会の仕組みや矛盾に目をむける批判能力を欠いてしまっている。お父さんもあの牧師もいい人ではあったが、人生の先輩としての役割を果たせていない。残念だった。

とにかくあの牧師は何なんだろう。
神に仕える前に、周りの人々を救え。自分を心から愛してくれている女性を幸せにしろ。無責任で、聖書に逃げ込む卑怯ものだ。それで、最後に村を出るしかなくなるなんて、滑稽もいいとこだ。

愛すべき善良な一家が、絶頂から下り坂へとどんどん不幸になり、可哀想で、確かに感動しそうになる。

でも、ある意味、なるべくしてなっている。いくらでも、回避する道はあった。

感動というより、幸せを維持できたのに、残念で仕方なく、悲しい。