次男

バッド・チューニングの次男のレビュー・感想・評価

バッド・チューニング(1993年製作の映画)
4.3
明日から夏休み。
新高3たちは恒例行事の新入生いびりに精を出し、夜はパーティが待っている。
パーティが中止になったって家には帰らない、ドライブして溜まり場に集まって、「なんか楽しいこと」を期待するように、笑いながら夜を泳ぐ。

大量のティーンたちの群像劇なのに、「誰が誰だ?」なんて一切の混乱も与えない。軽快な音楽に流されるまま、どんどん進む。終業のチャイムが鳴って、放課後が来て、夜が来て…。

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自分の当時を思い返してみると、何考えてたっけなー何も考えてなかったんじゃないかなーとか思うけど、たぶん覚えてないのは言葉にしてなかったからってだけで、うっすら考えてたんだろうな。彼らと同じようなことを。あのときの「大人っぽい」とか「子供っぽい」とかって、その濃度の違いなだけなのかも。

主人公のピンクはたぶん周りの奴よりその濃度が濃くて、だから無為な反骨も素直な従順も選べないんかな。でも周りの奴だって別に気づいてる。
30になっても一緒につるんじゃってるおっさんの気持ちもなんかわかるしそういう奴地元におるような気もするし、眼鏡が達観ぶってもキスしたらチンコ勃って青春に浸るし。

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高校んときの「青春を謳歌しろ!」みたいなんとか、大学んときの「大学は人生の夏休みぞ!」とか、当時めっちゃ嫌いやった。嫌いの理由は予感の裏返しで、「宿題しなや!」「今やるとこやったわ!」みたいな感じで、つまりこの映画の言ってることとまったく同じなんかな。違うかな。

「この映画がどんなふうに終わるか」ってそれはもう一択で、わかってるぶるのが先輩風だってことも、わかってる。4時くらいのじりじり感。夕暮れとはぜんぜん違う、白む空。高校生を謳歌する・謳歌しようとする彼らと、重なる。

でも、先輩風ついでに言わせてもらえば、本当に虚しくなるのは朝が来たときじゃないんよなー。朝帰って寝て、昼に起きたときなんよなー。

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ティーン洋画の個人的白眉は「パロアルトストーリー」なのだけど、並ぶくらい好みだなあ。アプローチとテンションが違うだけで、言ってることは同じだしな。きっと自分は、こういう切り取り方が好きなんだな。

てか、この映画の出来が良すぎるのはさて置いても、なんでこの歳になっても、高校生たちの青春を描いた映画にこんなに心震えるんやろう?なんで青春映画のたびにこんな感想長くなるの?俺が綴れること青春のことだけなの?まだときどき「通勤」のことを「通学」って言いそうになるのもそのせい?「会社がー」とか「その日仕事だわー」とか言うとき背伸びしてるような気がするのもそのせい?あの頃への執着って、いつ解けるの?
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