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動くな、死ね、甦れ!のTakaCineのレビュー・感想・評価

動くな、死ね、甦れ!(1989年製作の映画)
4.8
【スクリーンから迸る聖と俗】
この世界は「こんなもんだよ!」と叩きつけてくる映画。

貧困、混沌、絶望…

ロシアの寒々しい風景の中で繰り広げられる、救いようのない残酷な現実に心の芯まで冷えきってしまった。

そこには無実の罪で8年間も投獄させられたカネフスキー監督自身の怒りと悲しみが溢れかえっていて、更に彼がストリートチルドレンとして生きるために身につけた"本質を視る嗅覚"から産み出された「眩いばかりの芸術性」に頭をガツンと殴られた衝撃がありました!

クルクル回る金だらい、水溜まりに映る影、舞踏会でのダンスのような乱闘、狂人の目に迫るクローズアップ、さらけ出す狂女を執拗に捉えるショット、線路をてくてく歩く少年と少女、通りすぎる列車の隙間から覗きっ子をする二人、逃げる二人を躍動的に斜め切りするショット…瑞々しくて独創的な映像表現がため息が出るほど素晴らしい!!

もはや奇跡としか言えない映画的場面の連なりと、少年ワレルカ役と少女ガリーヤ役の演技を越えた純粋な表情に言葉を無くしました。

映画の中に、ロベール・ブレッソンの写実性と作為性、フェデリコ・フェリーニや今村昌平の聖と俗の視点と鋭い人間存在への眼差しを感じました。

安易な共感を一切拒絶した、剥き出しの残酷な世界。観ていて嫌悪感を抱いてしまうけれども、一方で紛うことなき才能に惚れ惚れしてしまう。これぞ、パンフレットに記載されている「永遠なる、映画の奇跡」ですね。

題名が怖そうで怯んでいたけれど、これは観ないと損するレベル。

【怪物的な処女作】
そもそもこの映画の誕生からして奇跡的です。ある時、アレクセイ・ゲルマン監督からテストフィルム作成の課題が出され、その出来が素晴らしければ、いずれ長編を撮って良いという機会を貰います。そこで完成した処女長編が本作です(監督53歳)。低予算のためモノクロで、撮影期間はたったの2ヶ月。天才すぎます!

1990年当時、カンヌ国際映画祭で絶賛されたのも当然です。カメラ・ドール賞(最優秀新人監督賞)を受賞。フィルモグラフィを見ると、これまで6作(日本公開作は3本)を撮って映画界を去ってしまったらしい。才能あるのに勿体ない!

こういう方は、ある時期、天から「お前が味わった人生を映画にしろ」と指令が下り、その役目が終わったので素直に去っていった潔さを感じますね。

この映画の凄いのは、ふと射し込んだ木洩れ日の美しさに心を奪われるように、混沌として悲惨な現実描写の中に、得も言われぬ美しさが垣間見られる点です。それが「人生というものだよ!」と言われているかのように。

彼の伝えたいことが多過ぎて、たまに映像が先走って説明が不足してしまう所があるけれど(愛すべきコッポラの『地獄の黙示録』みたい)、その才気はぶっきらぼうな演出の中でも隠すことはできません。映画でこそ味わえる快感がここにあります。

【嫌悪感の正体】
ここまで読んで頂くと大絶賛の感想に見えると思いますが、鑑賞直後は逆に"嫌悪感"しかなく「自分には合わない、好きじゃない!」と思ってました。こんなに映像が素晴らしいのに、なんで嫌いなのか??

考えて考えて分かったのが、この映画に出てくる全員が"僕と全く違う価値観"で生きていたから。僕が信じている価値観とかけ離れていたので自然と嫌悪感を持ってしまい、映画の評価までも下げてしまいました。

その価値観とは生きるための"自己防衛"。それを汚されたことに対する嫌悪感が半端なかった。

人に優しくされたら、お礼を言う。もしくは優しさを返す。誹謗しない。
(全て破るワレルカは基本的にクソガキです 笑)

人をむやみに殴らない。
(本作では、ワレルカは地面に叩きつけられるほど強く殴られます)

子供は守られる存在。
(子供でも殺されそうになります)

怒鳴らない。
(特に酷いのが、ワレルカの母親に好意を寄せる隣人ヴィトカ。声も歌も酷い!騒音レベル)

盗まない、嘘をつかない。
(貧しいのが罪?)

公共の場で裸をさらけ出さない
(2つ裸が出てきます)

自分を守るため、他人に糾弾されないため、上記の自己防衛をまとった俺が"忌み嫌う"ことがてんこ盛り(^o^;)

ワレルカの母親が自分の子供に言う「わたしたちがどうなっても誰も気にしない、みんな、自分だけで精一杯だから」や「私みたいな安っぽい女は結婚できない」(おいおい、実の子供にそんなこと言うなよ!)から感じられるのは、どん底すぎて体裁など構っていられない、生活に苦しむ貧困層の悲しみと絶望。

女囚は手当たり次第、男と関係を持とうとします。なぜなら妊娠すれば釈放されるから。

酷い貧困。お互いに疑い、殴り合い、盗みを働いた者に「殴り殺しちまえばいいのに!」とヤジを飛ばす。

神も仏もない世界。

日本人として僕が何事もなく過ごすため身につけた"自己防衛"は人と平和に過ごすやり方。それを冒頭から否定されて胸糞悪い。

この旧ソ連の炭鉱町、スーチャンには生半可な自己防衛など意味もなく、剥き出しの感情と欲求があるだけ。

その迫力と厳しさに圧倒されてしまった。でもそれが監督自身が伝えたい真実だから、どうか目を背けないで観て欲しい!

嫌悪感の正体が分かったら、素直に評価出来ました(*^^*)♪
まぁ、胸糞悪い映画でもありますけど。

ワレルカ役で本物のストリートチルドレンだったパーヴェル・ナザーロフ。彼の表情が本当に素晴らしい!!

【聖母】
本作の奇跡的な存在は、少女ガリーヤ。"守護天使"という題名がつく予定もあった本作ですから、彼女の存在は重要です。ワレルカがどんなに悪さをしても絶対に見捨てず、なぜかタイミング良く助けてくれる存在。

僕は彼女を守護天使というよりも、"聖母"だと思いました。母親のように出来の悪い息子を愛していて、どんなに酷いことをされても絶対に赦してしまう。いずれ息子が成長したら、静かに離れていく存在の"母"。天使よりも繋がりが深い気がしました。

演じるディナーラ・ドルカーロワの凄みさえ感じる表情。「あんた、ほんとバカね」と思いながら、愛情深く見つめる包容力が凄い!

ワレルカは俗の象徴で、ガリーヤは聖の象徴。二人で一つ、表裏一体。実はワレルカの内面を表していて、始めは未熟すぎて聖の思想からかけ離れていたけれど、成長するに従い聖の思想が目覚めてくる。分離していた聖の思想がワレルカに統合化した時、ガリーヤそのものの存在が現実から消える。観念的ですね。本作を聖と俗の物語と捉えても興味深いです。

書ききれないほど、後から後から凄さを感じる映画でした。日本公開の残り2本も観たくなりました。
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