理不尽で薄汚れた大人の世界でも、非力なふたりは染まることなく、失ってはいけないものをしっかりと抱きしめて、真っ直ぐに生きていたのにね。ずっと付き纏う嫌な予感が、あんな終焉に繋がっていくなんて。本当にやりきれなくて、沸々と湧き上がる怒りや、どこまでも沈んでしまいそうな悲しみのやり場が見つからない。感情を、世界を、表現したまさに映画史に残る映画だった。シンプルだからこそ無駄のない、大切なことだけを詰め込んだ大傑作。
ソビエト時代。子どもが、子どもでいることを許されなかった時代。無邪気に笑って、無鉄砲をやって育っていくのに、本来は誰かに認めてもらう必要なんかなかった。でも、大人たちは常に何かに怯えて、失望して、怒りを撒き散らして生きていて、子どもたちはそんな彼らに監視されるような毎日を送っている。金銭的な貧しさだけじゃなくて、流れている時間や雰囲気の貧しさが息苦しかった。第二次世界大戦後のソビエトではあれが生活だったんだなと思うと、本当に胸が痛い。捕虜として働く日本人や、赤の他人である男性に赤ちゃんを産ませてくれって嘆願する女性、子どもたちに気が狂ってると思われながら泥と小麦粉を一緒にして口にする男性。つい目を背けたくなってしまうほど人々の尊厳や希望が吸い取られてしまっていて、なんてどんよりした世界なんだろうと思った。
そんな殺伐とした世界の中でヤンチャなワレルカはいろんなことに手を出して騒動を巻き起こし、しっかり者のガリーヤはいつも彼に手を焼いていた。スケートの盗み返したり
トイレにイースト菌をばら撒いたり、列車を転覆させたり。魔が差した、という言葉じゃ庇いきれないような悪さを続けるワレルカに不快感を覚えることもあったけど、でも、もし違う時代に生まれていたら、ワレルカの悪戯はエスカレートしていたのかな。ワレルカは、ちゃんと愛を浴びていなかっただけだ。寂しくて、自分をたったひとりの人間として見てほしくて、憧れる対象を間違えてしまっただけ。理不尽に自分を怒鳴りつける母親への、この年頃では普通の反抗心に過ぎなかった。子どもたちの叫びをきちんと聞き取ってあげる余裕が当時の大人たちにはなくて、それが悲劇を生んでしまったんだと思うと、刑務所に入れるべきなのは、もはやひとでもないのかもしれない。少なくとも、誰かひとりが悪いわけじゃないんだもんね。
無垢な少年と少女が、恋愛だとか友情だとかいう言葉に惑わされずに、縛られずに、たったひとつの関係を結んで、お互いに確かめ合って線路を歩いているあの光景。放って置けないのは愛だとか、憎まれ口を叩きたくなるのは好きだからだとか、そういうんじゃなくて、ただ胸の内の衝動が正直にふたりの身体を動かしていて、それはとても純粋で綺麗な生き方だった。自分の中で煮えたぎる思いに嘘をつけないでいながらも恐怖心には負けてしまいそうなワレルカも、見返りを求めずに守ってあげたいという気持ちを手放さなかったガリーヤも、本当に本当に真っ直ぐで美しくて尊くて。ふたりの視線や表情、ほんのささやかな仕草でさえ、素直さで満ち満ちていた。空気の悪いところで静謐に揺れる野生の花のようなあの命に、あのまま健やかに、でも確かに鼓動を鳴らし続けてほしかった。
無情な最後。狂った最後。誰も救われなくて、あんな不穏であんな不快なのに、このクライマックスで頬を濡らしたひとの涙は、きっと何よりも澄み切った透明色をしていたに違いないね。内側から溢れ出す感情が、静かに爆発する映画だった。冒頭から最後までを端的に表したとき、「動くな!死ね!甦れ!」の言葉が切り取られる。本当に辛いのに、我慢できないのに、暴れまわりたいのに、ただ座り込んでしまうような、動けなくなってしまうような、そんな伝説的な一本。言葉にするのは難しい。でも、心で感じることはできる。この映画に出てきたすべてのひとたちの表情が、脳裏に焼き付いて、離れなくなる。失っちゃいけないものを失った時代の、閃光のような眩い、愚かな、光と闇の日々。