【悪い女にされた女】
アマプラ見放題にて。1998年、キム・ギドクの初期、三作目だそうだ。
この人の映画は殆ど見て来なかったが、一連の性暴力事件を知った今ではより、追いかける気は失せた。国内に居られぬ程のこと、やらかしたワケでしょう?で、逃げた先で死んじゃったっていう…。
とはいえ、この頃の女性観はどうだったのかは知りたくなったので、見てみた。
…すると、見れば成程、この時すでに、性的な屈服を受け入れる女、をそのまま描いていたんだね。
男に暴力で組み伏せられ、“鳥かご”に性奴隷として閉じ込められるに留まらず、“同志”まで増えてゆく…。そして映画のオチは、そんな事態を嘆きもせず、サド男らの楽園ができることを肯定している。
まあ当時なら、ギ毒も否定する気持ちだってあったかもだが、その後、自分がマウント取れる立場に成り上がると、現実にサド男になってしまったという…。恐ろしい話だけど。
映画前半は、韓国文化への興味も湧いて、惹き込まれた。
当時の韓国ではまだ、こんなカジュアルな佇まいの“売春付き”民宿があったのか。というか今、法改正された後でも、隠れて営業している所もあるのかな?本作でも、警察はお目溢しをしていたし。
そんな“鳥かご民宿”という名の宿で、ふたりの女が対比される。どうあれ、彼女らは共に生活しないといけないワケだが、一方はそれに耐えられない…。
そして民宿を経営する一家は、ファミリービジネスである売春によって、そのファミリーが変質してゆく。“商品”でもある売春婦の、静かな魅力が牽引して、この過程はなかなかに惹き込む。
しかし中盤辺り、全ての状況が揃ってから物語は足踏みを始める。そして進む先に迷ったか、一方の女に、カナリ無理やりな変心をさせてしまう…。これには、ついていけない。
もし、不条理な面白さに昇華したいなら、娘があの選択をした後での父娘関係を描かないと。選択自体がオチになっているから、男に都合のいい女、が新たに生まれただけで終わってしまう。
この物語だと、有害な男らしさは生き延びるだけでしょう。
ひとつ、仕掛けで気になったのは、金魚を売春婦に例えている点。映画の舞台は松島海水浴場。しかしそこで、ヒロインは金魚にある行為…“逆ポニョ”をしでかす。狙ってやったとしか思えないが、彼女は全てを受け入れたように見えて、本音では自分も、弱者を虐げたくなったのか?
これは冒頭からの対比にもなっている。彼女はエロ本の上から彷徨するミドリガメ…もしや亀頭の暗喩?…を助けていたようにも見えるが、もしも助けた先が、金魚と同じ場所なら…?
…とはいえ結局、物語のオチがネガティブにヘン過ぎて、この仕掛けも埋もれちゃうんだけどね…。
あ、売春婦を演じるイ・ジウンは、ファム・ファタールらしくなさが魅力でした。
ところで原題は、売春宿の名称『鳥かご民宿』らしいが、悪い女、なんて邦題を付けたのは、キム・ギドクみたいなメンタルの男性なのだろうな…と思ってしまった。
<2024.10.5記>