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モスクワ・エレジーのSのネタバレレビュー・内容・結末

モスクワ・エレジー(1986年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

2021/10/29 シネマスコーレ
【ソクーロフ特集2021】
劇場版タイトルは『モスクワ・エレジー タルコフスキーに捧ぐ』

ソクーロフ初長編作品『孤独な声』が、旧ソビエト当局により上映禁止処分を受けた時、擁護されて以来、親交が続いたロシアの名匠アンドレイ・タルコフスキー監督の人と思い出に捧げられた作品。

アンドレイ・タルコフスキーの父親はウクライナの著名な詩人で、タルコフスキー家は何世紀にも渡り由緒ある一族であったという。
1932年4月4日、母は親戚の勧めで田舎に戻りアンドレイを出産。後に妹が誕生。
幼少期に母と妹と暮らしロシアの貧しい家。(劇中で言及されないが父は別の家庭を持ち出て行ったよう。)最初に入った大学は中退し、次は映画大学へ入る。2度目の結婚で子供に恵まれたタルコフスキ一家は、夏と秋に過ごすパリ郊外の一軒家があった。それらの思い出の地を訪ねたソクーロフ監督。モノクロ映像の画質は荒く古めかしい。

タルコフスキーがロシアを出国し、イタリアへ旅立つ間際のレアなパスポート写真なども公開。
20代のような若いタルコフスキーが役者として出演したモノクロ映画のシーンも登場する。(監督名とタイトルは忘れてしまった)

ともかく、考え、動く彼の姿を撮らえた映像が魅力だ。亡命する起因となった『ノスタルジア』を大きく引用。役者の台詞にソクーロフ自らのナレーションを完璧に被せ、タルコフスキーへの計り知れない愛を感じた次第である。

同胞の監督達にタルコフスキーの才能は妬まれた存在だったと言う。表現の自由を求め他国へ渡ったものの、母国への忘れ得ぬ思いを抱き続けたタルコフスキー。その全てが魅力的だったとソクーロフは語る。

タルコフスキーの遺作となった『サクリファイス』。撮影現場のモノクロメイキング映像では、役者に囲まれた打ち合わせや、自らがカメラを構えてレンズを覗き、一連のシーンの流れを役者に伝えたり、指導する生き生きとした表情と姿が撮られていた。
現場のスタッフも役者もタルコフスキーの才能を誰もが認め尊敬し、1分1秒たりともタルコフスキーと共に過ごす時間を無駄にしないと懸命だったという。

しかしこの時期、既に重い病に侵されていた事は誰も知らなかったという。
タルコフスキーは胸の痛みから85年の秋、同作の編集段階で医師を受診すると「時間がないので、仕事を急ぎなさい」と気管支ガンを宣告された。一度目の手術の後の経過は順調に見えたというが、インタビュー映像でのタルコフスキーの頭には病の影響から布で覆われ、撮影監督スヴェン・ニクヴィストが側に寄り添って話しかけていた。

死期を悟ったタルコフスキーは故郷には帰ることなく晩年に家族と暮らしたパリに戻り、(劇中では言及がなかったが1986年12月29日に客死)ロシア流の古典的な葬儀が執り行われ、パリの墓地に眠る。

タルコフスキーが映画監督を志す若者に向けて語った「自分自身と真逆の映画を目指すべきではなく、常に自分に近いものであるべき。」との言葉は心に深く刻まれた。

2021-311
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