あまのかぐや

マン・オブ・スティールのあまのかぐやのネタバレレビュー・内容・結末

マン・オブ・スティール(2013年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

ヘンリー・カヴィルは試写とかでスクリーンに映る自分のアップを見て (ななめ右45度で空を仰ぐ表情など、まるで彫刻のようでした) 「なんというハンサムなんだろう自分!」って思ったりしないのでしょうか、他人事ながら心配になります。

ヒロインのエイミー・アダムスも好きな女優さんですがなんとなく気の毒になってしまうほど美しいヒーロー。
パワーやら人間性やら活躍やらを語る前にあの全身CGのようなハンサムには全面降伏です。
いやごめん!私が悪かった!とにかくなんだかわからないまま謝りたくなります。

異星人が英語をしゃべって人間と同様の姿をしていることに疑問!などという無粋なことをいうツレと見てしまったのですが
「カル=エルが、第9地区みたいな、あるいはマーズアタックみたいなルックスの異星人だったら」という仮想をしてたら笑いが止まらない。
あのルックスじゃなかったら地球人はクリプトン星人を受け入れただろうか。
それ以前にケント夫妻は育てただろうか・・・なーんて。

かくいうわたしも「スーパーマン=クラーク・ケント」=新聞記者の青年が電話ボックスで変身して悪と戦う、っていうざっくりしたイメージ(そして頭に浮かぶのはなぜか鳥山明画伯のアレで)そしてあのテーマソングしかなかったわけで。
が、しかし、今、このヒーロームービー乱立時代に、スーパーマンを別視点から復活させるという挑戦が素晴らしいと思いました。

クリストファー・ノーラン製作、ザック・スナイダ―監督という
それだけで観る前から重そうな堅そうな気がしましたが
やはりそのとおりの映画でありました。
特にザック・スナイダー独特の濃い陰影のある人物の映し方
(300のジェラルド・バトラーが勇壮度5割増しぐらいに見える)がとても活きていました。
赤いマントがはためく様子を下から映していくところなんか鳥肌ものでした。
それからハンス・ジマーの音楽。
なんと説明したらいいかわからないけど胸が締め付けられるよう。
映像の重さや荘厳さにドンピシャで、これは大正解だったと思います。
ぜひこれは音響のいい映画館でもう一度味わいたい。

前半の数十分でクリプトン星の滅亡、ジョー=エル、ララ=エル、そしてゾッドの関係がすとんと解説されます。
この閉塞空間だけの話だったら眠くなっちゃってたかもしれませんが。
「ゾッドがただの悪ではない事情」「パパエルが息子をそれほどまで生かしておきたかった事情」など、これを知ったうえだと単なる勧善懲悪ヒーローものがとても厚みのあるお話になっていたように思えます。

クラーク・ケント(クリプトン星人としての名前はカル=エル)の二人のお父さんがとてもいい。

クリプトン星でのお父さんがラッセル・クロウ、地球での育ての親がケヴィン・コスナー。
特にアメリカの田舎の農夫という地球のお父さんという設定のコスナーの老けっぷりには驚きましたが 本当の息子ではないクラークに深い愛情を寄せて
道徳や人間愛をしみ込ませるように教える姿(文字通り体をはって!)は思わず涙してしまいました。

クリプトン星の映像はVFXを駆使してダイナミックな、・・・うんでもまぁ予想通り。
それより途中の回想場面で差し挟まれる田舎のシーンがとても印象的。
特に後半のやりすぎ感のある大戦闘シーンから振り返れば、
まるで違う人が作った映画みたいです。
中東問題とかロシアとか大統領の決断とか、 そんなのどうでもよくなってしまうほど問答無用にこてんぱん。
ニューヨーク(のごく局所的に)壊滅シーンを削っても
もう少し途中の人間ドラマのボリュームを増やして欲しかったかな。
でも・・・ちょっと足りないぐらいがいいのかな。

しかしゾッドがあーいう結末を迎えて、クラークがあーいう人生を歩み始めたラスト・・・つづきはいったいどこからスタート?と心配になってしまいます。


今、あらためてクリストファー・リーブ版のスーパーマンを見てみたいなと思いました。