KnightsofOdessa

肉体の悪魔のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

肉体の悪魔(1986年製作の映画)
4.0
[社会に幻滅した同時代の若者たちについて] 80点

マルコ・ベロッキオ長編十作目。学校最上階を鳥瞰で捉えたショットの端から、屋根伝いに女が侵入してくる。教室の中からのショットに切り替わっても、女は窓から異質な輝きを放って非日常として鎮座している。そして女は、騒ぎを聞きつけて起き出してきたジュリアを静かに見つめるようにカメラを覗き込む。まるで女の狂気がジュリアに乗り移ったかのような瞬間だ。学校からこの騒ぎを見ていたアンドレアはジュリアに惚れて追い回し、彼女が裁判中のテロリストの婚約者ジョバンニであると知りながら恋に溺れていく。アンドレアの父親が精神科医であり、ジュリアは彼の患者らしい。父親がジュリアの名前を聴いた瞬間に患者が全裸のジュリアに入れ替わる(椅子の影から生足がニュッと出てくるエロさ)など、超現実的な時間の跳躍があって、次作『サバス』と構造がかなり似ている。それに加えて、テロリズムや若者の幻滅といったテーマも絡んでくる。特にテロリストは方や裁判所の檻の中で他のメンバーとセックスするようや輩がいれば、ジョバンニのように闘争に意味を見出だせなくなっていくメンバーもいる(彼の"教会だけが私の手紙を受理してくれた"という言葉は最新作『夜のロケーション』にも繋がってくる)。ラストの試験で事務的な回答を咎められたアンドレアが試験官の言う様々なイズムを否定するのも象徴的だ。そんな虚無感とイデオロギー的な拠り所のなさは、冒頭の瓦屋根から即物的なセックス描写からも垣間見える。ラストのアンティゴネとクレオンの劇的対比についての問答は、対立するイデオロギー信奉者として引用しているようにも見え、全く異なる信条を持つ者たちも本質的には共生できるのではないかというベロッキオ的テーマに流れ着く気もする(結局『アンティゴネ』の中でも信条を曲げずにどちらも死ぬことになる)。
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