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クラウド アトラスのotomisanのレビュー・感想・評価

クラウド アトラス(2012年製作の映画)
4.4
 来世でも出会いたいなんて人がいるのは幸いだ。1936年のR・Fは映画の標題にもなった六重奏曲をSsに託して先立つ。2144年のソンミは先立ったヘジュを追って来世を目指す。そんな彼らだが、実はこの世に生きる余地が無いような格好で死んでゆくのであって、この世でまず共に生きられたらそれがいいに決まっている。
 そんなR・FはSsとともに地元英国では当時違法な同性愛者。ソンミは機械装置同様のあつかいなクローン。どちらも世間に受け入れられない立場の者。しかし殊にソンミはクローンの人格を認めない社会に向けて自らの声でわたし個人を意志表明し、「解放のシンボル」的な存在になり、やがて神格化され、グローバル文明消滅後106年目のザッカーリーにとっては最早むかしは人であったとは知られる事もないただの「神」である。しかし、やがて星への旅を迎えるザッカーリーはソンミを理性で捌くべき対象とせざるを得なくなるだろう。
 この三つの時代の物語のほか、1849年の弁護士ユーイングの奴隷買い付け航海での経験から得た奴隷解放運動への目覚め。1973年の原発重大事故を誘導する石油メジャーの陰謀を阻むゴシップ誌記者レイの闘い。2014年の出版編集者キャバンディッシュ氏の不当なお仕置きからの解放の第一歩。あわせて6つの物語の撚り合わせがクラウド・アトラス一体となっている。

 この6つの物語を束ねた変わりものは計200近い場面に寸断された各物語を一本に再構成したもので、出だしは各場面それなりの長さだが、以降は全話で各場面ひとつ2分も続けば心得違いという感じの一口サイズに調整されている。6つの物語を6本の糸に例えればそれを編んで一本の綱にまとめたような具合でもある。ただし、その編み方はかなり変則的である。ところにより2本だけの絡まり、また別のところでは三つ編み、四つ編みとなり、ものがたり各場面同士の類同性や親和性、対称性、アクセントとして馴染むものが互いに撚り合わされている。
 この、物語を撚りあわせたり編み上げる事にどんな効果があるのか?撚り合った物語同士はともに声を上げ、走り、抵抗する。あるいは共にもたつき、ためらい、閉塞するかと思えば大きく舵を切る。実直に6つそれぞれの筋を別個に追っていった方が事は平明で理解も早い。しかしそれで、このような妙なクラウド的力強さを産み出せるだろうか。この作りに多くのジャブを受けて消耗したなら、第2戦、第3戦に応じよう。そうすれば物語同様、映画体験も自ずと太く撚りあわされてより強い言葉を映画から受け取る事ができるだろう。

 こんな厄介ものではあるが、各話、他人を抑圧し害する利己心や悪意を圧倒する意志の大切な事を伝え、あるいはそれらの悪意をかいくぐって自分のありようを伝える姿を称えるものである。
 しかし、不幸な挿話は、1936年没のR・F、1973年没のSs博士とアイザックや犬、2144年没のソンミ、ユナ、チェン、106年目の村人たちと山ほどあり、時代を経るほど増えてゆく。それどころか物語の出口である崩壊106年目の時点ではおそらく、地球人口の大半は失われ、放射能か化学物質か知れない汚染で残りの皆も余命いくばくである。これを救うための希望の一手が2144年当時すでにあった地球外コロニーからの救援であり、その救難信号を送出するミッションが106年目の物語の主軸となる。何とも悲観的な人類観だろう。
 2144年すでに海面上昇が危機的な世界は100年後には新都市も放棄せざるを得ない見通しで、するとさらに106年のち、2300年代がザッカリーの時代である。地球外コロニーが母星に使節を送れる余力と技術を築いているのか。一方ザッカリーは古いソンミ様信仰と二分心の片方を支配するオールド・ジョージーの悪心を克服できるのか。実はこちらがさらに一つの注目事である。
 技術や知識を伝える術や電力、航海能力、恐らく耕作の余地さえ失い、科学的、合理的である事では大きく後退した人間の心が神や悪魔の支配を脱する事ができるのか。そして同じ人間であるが対照的に旧文明の担い手で、その文明も文明の源の一端でもあった欲望の増進を抑えられずに滅びたと説くP族のメロニムのソンミの神性を否定する胸中の計り知れなさに耐えられるのか。ザッカリーにとってメロニムは時に便利な助け舟であるが、こころに刺さる異物にも等しい。しかし、旧文明の知恵でもたらされた産物への信頼からメロニムのミッションへの協力へと自分を追い込むザッカリーの心の軌跡がやがてメロニムへの愛に転じるらしいことが必ずしも色に現れぬようで、もどかしい。
 しかしそれから何十年後のことか二つの月の夜、地球でのできごととあそこが地球だと孫らに語って一日を終えるとき、ふたりの退場を見送るこのコロニーには何が生れているのだろう?地球に置き去ったものは何だろう、と問いたくなる。多くの悪意と善意に押し上げられた人間のこんにちが結局一握りの人しか生かせられない事になったとしても、それが平和であるための条件ならどうしよう。
 こうして限りなく欲を膨らませ滅びたと告げられたその後であるが、それでも、ただひとつ望みを叶えようと向けられたなら、悪魔のささやきと疑いながらも、あの六重奏曲はこのコロニーに伝わっているかと訊ねたい。やはりこの一事に尽きるだろう。
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