つちのこ

舟を編むのつちのこのネタバレレビュー・内容・結末

舟を編む(2013年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

演技派ぞろいの豪華キャスト!

松田龍平は、朴訥で感情も言葉も多くは語らないんだけど、何かを伝えようとしていること、誠実な気持ちだけはひしひしと伝わってきて、たくさんの人たちを動かしていく。

「人に何かを伝えるのが苦手」といっても、口からこぼれる言葉たちは、とても思いやりがあり、丁寧な美しいものばかりだった。

彼の誠実さは充分みんなに伝わっているから、真夏にアルバイトを集めてラストスパートに入っていたにも関わらず、一段階前の工程を最初からやり直し! となっても、みんなついてきてくれたのだろう。

言葉を操ることは、言い方は悪いが、「他者からの自分への印象」を操ることでもある。

オダジョーはそんなにキャラが立ってなかったし、そこまで辞書編纂に必要な人物・・・ とは、客観的には思い難かったなぁ。言葉もそんなに知らないようだったし。あんまりオダジョーの演技を上手いと思っていないせいもあるのかも・・・ (いつも似たような、投げやりなチャラい役を与えられて、いつも似たような投げやりな演じ方で演じる感じ。与えられる役の問題かもしれないけど、幅が狭い気がしている)

邦画を久しぶりに観たんだけど (「洋画しか観ない!」などという意味不明なこだわりはない)、「字幕じゃない」ことの落とし穴として「声を聴き逃したらオワリ」ということを痛感しました。

加藤剛さんは俳優歴が長いからか分らんが、発生が非常に美しくて、静かな落ち着いたシーンで淡々と喋っていても、よく声が通って聞き取ることができた。

最近、読了した本の書き抜き (「良い表現だな」とか「これは重要」と思った箇所を付箋で貼っておき、ノートに書き写していく) を、音声入力を使ってデジタルでも保存しているのですが、いかんせん、自分の滑舌が良くなかったり、発声が悪かったり。識別が上手くいっていないこともちょいちょいあり。

やはりこういった方の鍛錬は、素人とは全く違うんでしょうね。

今まで辞書についてあまり考えてこなかったけれど、そんなに年月かけて、校正に校正を重ねて出版されているなんて思いもよらなかった。

「辞書」って、なんか聖書みたいに (私は別にクリスチャンではないが) 絶対的存在で、神が創った創世物か、ひとりでにできあがった完璧な存在か、(そんなものがあるわけはないんだけと) そのぐらい「辞書を作っている中の人」のことまでは考えたこともなかったし、あぁ、こんなにもアナログで土を掘るような (いい意味で) 泥くさい背景で作られているんだ、ということに妙に感動を覚えた。

「辞書に間違いが載っていたらどうする?」

そんなこと、考えたこともなかった。

三省堂の大辞林は、出版するのに 30 年・・・。そんなに時間がかかるなんて。

そう言えば、高校? の頃、広辞苑の第六版が出るというので、欲しいなー欲しいなー、でも高いなー、と思っていたが、なんと父親の勤めていた会社で、何かを記念して社員に配布されることとなり、図らずも私の家にやってきた。

あの時は嬉しくて、「全部読むぞー!」なんて張り切ったけど、多分「愛別離苦」くらいのところで終ってる(笑)

いつのまにか実家は遠く離れ (親が故郷に戻ったため)、あの広辞苑もどこへ行ったのか。使われることはあるんだろうか。

つい最近、『新編英和活用大辞典』というものを購入したのだが、これは初版に 50 年かかってるとかなんとか・・・。
なんとも気の遠くなる話である。

以前、伊豆? の「ジュエルピア」という所で、中国の親子三代による象牙の彫刻 (70 年くらいかかっているらしい) に脱帽したが、まさに似たような執念。

余談だがこのジュエルピア、台湾の国立故宮博物院にあるような、象牙を掘った球体のレースのような彫刻レベルのものがゴロゴロしている。日本人が掘った象牙作品もあり、それはそれで素晴らしいが、中国の作品はまたそれとは異なるすばらしさがある。ぜひ行ってみて欲しい。

あまりの長い歳月に、そりゃー人も死ぬだろう (同書にはやはり同じように完成を待たずして亡くなった方のお話が記載されていた)。

しかし、この作品の先生にとっては「生きている間に辞書が完成する」ことよりも「自分の意思を継いでくれる人間が現れた」ということの方が、よっぽど幸せで、その気持ちはよくわかる。

非常に美しくまとめられている、完成度の高い作品だと思う。原作もぜひ読んでみたい。

また「大渡海」のエピソードもよかったし、そこからの『舟を編む』。素晴らしいセンスですね。

だいぶ話は飛ぶが、以前にシュウウエムラの展覧会 (susabi) に行った時、

「1 年を見る人は花を育てよ。10 年を見る人は木を育てよ。100 年を見る人は人を育てよ」

という植村巨匠の言葉に感銘を受けたのだが (その場で覚えて、今も苦もなく言えるくらい心に残った)、まさに「50 年を見る人は辞書を育てよ」みたいな気がしてしまったけど。

本当はもっともっと、人よりももっと長く残っていくのが言葉であり、辞書であるんだ。1,000 年を見る人が、辞書を育てるのかもしれない。

私たちの国、日本は、幸い、言葉を奪われるような事態には見舞われず、この独特な美しい言葉を守る幸運に恵まれた。

これは、小国日本にとって、本当に奇跡のようなことだと思う。

そんな貴重な言葉を遣って、人を口汚く罵るのはやめよう。美しい言葉だけを話すように努めよう。

私たちは「年」という単位で人生を生きる以上、言葉で繋がるしかないのだから。

言葉が伝わることによって幸福が生まれる。争いも起こる。

伝わらないことによって、知らないからこそ幸せでいられる。すれ違いが起きる。

もっと「言葉」ということについて、教育の時間を割いた方がいいのかも知れない。

翻訳を生業とする身として、今一度 (何度も思い知ってるんだけど・・・ 泣)、日本語の大切さを思い知り、学びたいと思っているところです。

こうなりゃ広辞苑 七版と大辞林 四版買うかー。
広辞苑はまだ新しいから中古でもそんなに安くないのと、大辞林はいつ出るか決まってないみたいなので、時期はズレるから金銭的には問題ないとして、あとは部屋のスペースの問題が・・・

「辞書を読むぞー!」とかいって挫折してるものが何冊かあるけど、当然、読むのに 30 年も 50 年もかかる訳はないから、作った人達のことを考えて、勤勉に、諦めず貫徹したいと思います!
来年中の抱負!

あかーん最近どんどん長くなってる!

でも、非常にいい作品でした!