Cisaraghi

舟を編むのCisaraghiのレビュー・感想・評価

舟を編む(2013年製作の映画)
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見始めてから、「右」の語釈で悩んでしばし再生を止めてしまったわ…。

原作を読もうと思っているうちに映画化されて何となく原作を読みそびれ、気がついたら映画ももう6年前。
 これいい話です、三浦しをんさんの小説きっとすごく面白いんだと思う。だけど、映画は素直にいい話だなと感動出来ないというか、最後のお手紙をクライマックスに持ってきているのだろうに、ちっとも感極まらなくて困る。何故だろう?ストーリー展開があまりに予想範囲内だからかな?特に感極まらせようとはしていないのかな?小説だときっとそこに至るまでの言葉の積み重ねがあってもっと説得力があるんじゃないかと思った。「本を読む」。

でも、あおいちゃんに○○○されて、え?マジですか?(と口には出さずに言ってたと見た)みたいになる馬締ちゃんのリアクションとか、西岡さんのチャラっぷりとかバカパパぶりとか(やっぱジョダギリはいい!)、一瞬自転車で駆け抜けていく池脇千鶴とか、スカした黒木華とか楽しかった。伊佐山ひろ子は言動は面白いのにお芝居感ありすぎるのか笑えなかったのが残念。

所作が美しく凛とした宮崎あおい、八千草薫の八千草薫っぷり、渡辺美佐子のよくも悪くも芝居上手い感。加藤剛さんは辞書編修の重鎮としての威厳や良心そのものってカンジであの方の口からこの役をやっていなければ到底出そうもない言葉が飛び出すのは笑えた。小林薫は小林薫、日本のファンジョンミン。
 この、「ドラマを見る」というより「(上手だったり下手だったり、癖があったりなかったりの、様々な)お芝居する人を見る」という風になってしまうのが、今の時代の邦画が苦手な所以なのかな…。構造的なものなのか演技の質やタイプによるものなのか、それがよくわからない。

しっかし、整理整頓が辞書編集者には大切というワリにはあの編集室雑然とし過ぎじゃないかな?本当にあんなものなのだろうか?どこまでリアルなのかが非常に気になった。あれで本当にいい仕事が出来るのだろうか?
 そして、あの狭い編集室に大勢の人間がひしめいて密室状態で夜なべ仕事するシーンは、なんだか臭いがしてきそうで強烈だったな…。

辞書編修って途方もない作業で性格的に向いてないとやってられないのだろう。この作業の労苦とかかる時間をAIが低減してくれたりはしないのだろうかと一瞬考えたけど、AIに語釈は書けないし、校正も無理となると、あまり出来ることは多くないのかなあ…。 

あと、紙のぬめり感にこだわるところ面白かった!私にはまだその感触の記憶があるが、今の若い方たちは想像するしかないのでは。紙の辞書の現状は今どうなっているのだろう。

馬締ちゃんの下宿しているような家、TVなどでたまに見た気がする。実際には知らないああいう作りの家、昔の東京にはよくあったのだろうか?
 それにしても、あの家も編集部ほどではないが物が溢れかえっていて、ここまでモノが室内に雑然と集積してる映画って最近見た覚えがない。邦画を観ないせいだろうか?『TOKYO!』は邦画ではないけれどモノで溢れた東京のアパートが出てきた。日本を描く場合、室内は雑然としていた方がリアリティーが増すのだろうと思う。umm…。
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