真田ピロシキ

ルビー・スパークスの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

ルビー・スパークス(2012年製作の映画)
2.7
スランプの小説家が夢に見た女性を小説に書き始めたら現実に現れる。そんな話キモいに決まっている。ルビーは主人公カルヴィンの理想キャラクターで、飼い犬までもが世間的な男らしさの薄いカルヴィンを概ね肯定してくれる。その上に好きなように設定を書き加えられて、名声を得た大人としての分別があるので当初は自重していたものの自由を尊重した人間としてのルビーが本人の付き合いに忙しくて自分にあまり構わなくなってからその禁を破ってしまう。

予想通りに器の小さい男。書き変えて極端に自分から離れなくなったら疎ましくなって、適度な人格を持たせたら他の男と親しくしてるのを見て大嫉妬。前の女と話しているのを見ると以前の破局も原因はコイツにあったんだろうなと察せられるダメぶり。大喧嘩の末ヤケクソになってルビーの設定を好き放題書き加える様は明らかに恋愛映画ではなくてサイコホラー。創作能力のあるミザリーのキャシー・ベイツみたいな奴だよ。救いはそんな自分を恥じれるだけの品性があって、ルビーを自分の人生から解放し苦い経験を元に長らく書けなかった新しい長編小説を書き上げる所に都合の良い話で終わらせない人間的成長が表れる。ルビーを生んだタイプライターからPCに変えるのはルビーの人生に今後一切関与しない決意であるが、敢えてタイプを使っていた拘りを捨てる行為でもある。ずっと書けなかったのは天才肌若手作家としてのあるべき自分の型にハマりすぎていたからではないか。作家としてもカルヴィンは次のステップに成長する。

そう思っていたのに、ルビーに瓜二つの女に会って良い感じになって終わるのはどういうことなのだろう。これでは相手がルビーではないと言っても同じようなことを繰り返すんじゃないかな。結局都合の良いファンタジーでしかないと冷めてしまった。