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遺体 明日への十日間のQTakaのレビュー・感想・評価

遺体 明日への十日間(2012年製作の映画)
4.5
九年経って、今、確認できることも有る。
今、しなければならない事も、思いも有る。
そういう立場で映画を選ぶなら、この一本もそこに選ばれるだろう。
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この映画には、ヒーローもヒロインも居ない。
ただ、そこに居た人々と、そこで起こった出来事が克明に描かれているのみだ。
この映画について監督が語っている言葉がすべてを示していると思う。
『被災地で、今も、そしてこれからも生きていく人たちのことを常に忘れないで作っていきましょう』
この映画は、生きてきたことの証と、これからも生きて行く事への支えになるのだと思う。
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さらに監督の言によると
『俳優の皆さんにも「僕がこうしろああしろとは言えません。だから自分が感じたままに動いてください」とお願いしました。』
忠実に再現された体育館の遺体安置所には、ご遺体を模した人形が運び込まれる。
そこは、あの日のその場所なのだ。
子どもの遺体を前にした場面で。
『釜石市の若い職員を演じた志田未来さんは、子どもの遺体を前にしたときにカメラから逃げるようにして背を向けました。演出はしていなかったので、顔を撮ることができなくなってしまいましたが、彼女が自分の感情をさらけ出した結果だったので、そのまま映画の中でも使っています。』
映画の中で一番グッとくるシーンだった。
こうしてその場面を知ると、志田未来という役者の凄さもわかってくる。
西田敏行さんが演じる民生委員は、この安置所で遺体となった一人ひとりに声をかけて回る。
皆が、その背中を見て、ここがどこで、どう有るべきなのかに気付き始める。
歯科医役の柳葉敏郎と歯科助手の酒井若菜が演じる二人は、遺体一人ひとりの確認のため、奮闘しながら、変わり果てた知人と出会う。その時の悔しさ、哀しさをその姿に表している。
何もかもが、再び撮影の現場で起こったかのようだ。
役者は、こうして心をさらけ出してそこに立っているのだとわかる。
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映画の内容について語ることはない。
これは、見て、感じて、噛みしめる事しかない。
だから、この映画は、見て欲しい。
何度でも、この春に、毎年の春に見て欲しい。
起こったこと、その現場、そこに居た人々の姿。
私の想像を遥かに超える現実をそこに確認することで、初めて現実に少し近づける。
今朝、言葉を交わしたその人が、そこに横たわっている。
津波に揉まれながら見失った家族をそこに見つける。
そういう風景を想像できるはずが無い。
だから、こうして映画が有る。
この原作を現場の取材から書き上げたジャーナリスト石井光太氏に感謝。
この映画に、そして、役者たちに感謝。
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忠実に再現された現場を元に、役者たちに感じたままを演じさせた君塚良一監督の演出は、まさに役者たちにその本領を求めたのだと思う。
感じたままに演じる事の難しさを、この映画は示していたように思う。
同様に、3・11をテーマに撮られた「風の電話」(監督:諏訪敦彦)が有る。
諏訪監督は、脚本にセリフを用意しない。
その場に有って、感じたままの演技を求める。
この映画で主演のモトーラ世理奈の姿もまた素晴らしかった。
それは、本作『遺体 明日への十日間』で見た役者たちのそれと通じるものが有る。
その場に自らを置く事で得られる何かが現れるのだろう。
こうした演出の妙を目にすることに驚きを感じるとともに、役者・監督の素晴らしさを実感する。
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