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ザ・マスターのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ザ・マスター(2012年製作の映画)
4.3
 紺碧の海に逆巻く白い飛沫が浮かぶ第二次世界大戦末期。アメリカ海軍のフレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)は塹壕の中で何とも言えない表情を浮かべている。ヤシの実を刈り取り喉の渇きを満たすと、砂浜で相撲をして遊び、紺碧の海に向かい自慰行為をする。兵士たちがイタヅラで砂に書いたラブドールと本気でSEXをする素振りさえ見せる。やがて日本の敗北宣言によって太平洋戦争は終結。だが戦時中に作り出した自前のカクテルにハマり、フレディはアルコール依存から抜け出せず、酒を片手にカリフォルニアを放浪しては滞留地で問題を起こす毎日だった。彼は明らかにPTSDを患っている。ヴェトナム戦争後に顕在化したこの精神疾患が、第二次世界大戦から帰国した彼を苦しめる。戦後、カメラマンとして僅かばかりの金を稼ぐが、ある日無気力になったフレディは背広姿の客の首を絞めて即刻クビになる。その後農夫となり生きていくが、彼が出来心で老人に注いだ密造酒が元で、老人が死ぬ事件が起きる。フレディは少量の酒に、各種の薬品、整髪料、塗料などを混ぜ合わせ、怪しげな密造酒(模造品)を作り上げる。酒を老人と酌み交わしながらフレディは彼に対してつぶやく。あなたは私の実の父親のように見えますと。あわや殺人の濡れ衣を着せられそうになったフレディは密造酒をしこたま呑み、豪華客船へと潜り込む。船長の“マスター”ことランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、フレディのことを咎めるどころか、密航を許し歓迎するという。フレディはこれまで出会ったことのないマスターの魅力に興味を持ち、下船後も彼のそばを離れず、マスターもまた行き場のないフレディを無条件に受け入れ、彼らの絆は急速に深まっていく。

 フレディとマスターの出会いは、処女作『ハードエイト』におけるシドニーとジョン・フィネガン、『ブギーナイツ』のジャックとダーク・ディグラー、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のダニエル・プレインビューとH・Wとの関係性の延長線上にあり、年長者は若者を然るべき人生へと導いていくはずだった。フレディと酌み交わした密造酒は劇薬のような成分であり、農村では老人を死に至らしめた模造品だが、マスターはこの過激な味に夢中になる。ここでは偽造酒とプロセシングの等価交換が彼らをつないでいる。フレディが配合した偽造酒はある意味、LSDと同じような劇薬であるが、その効き目がマスターを虜にし、フレディもマスターのプロセシングを受けることで魂の救済を受ける。最初のプロセシングの場面は、まるでアクション・シーンのような緊迫感のある切り返しで繰り広げられる。マスターはフレディに一切の瞬きをさせず、ただひたすら彼の感覚を追い込んでいくが、そこで「ドリス」という女性との思い出が、フレディの心を支配していることに気付くのだ。PTAは今作におけるマスターのキャラクターのモチーフになった人物として、実際に50年代のアメリカで設立され、現在も存在する宗教団体「サイエントロジー」のL・ロン・ハバードがモチーフになっていると認めている。『マグノリア』において「誘惑してねじ伏せろ」と男たちを説き伏せたフランクを演じたトム・クルーズこそは、このカルト宗教団体「サイエントロジー」の広告塔に他ならない。

 今作もこれまでのPTA作品同様に、薄皮1枚のメッキが剥がれ、カリスマ的指導者のイメージは一気に失墜する。NYへ渡り、マスターが聴衆の前でプロセシングを行う時、ジョン・モア(クリストファー・エヴァン・ウェルチ)がただの催眠術だと異議を唱えるが、去勢されたフレディの暴挙が事実を覆い隠す。開巻からちょうど半分を過ぎた頃、フィラデルフィアの有力者ヘレン・サリヴァン(ローラ・ダーン)の庇護を受けていたはずのマスターとフレディは財団の資金流用疑惑により投獄される。擬似父子の関係が、実際の家族以上に強調され始め、“ザ・コーズ”に関わる者たちが、一転しフレディを邪魔者呼ばわりし始める。密造酒の断酒を促すマスターの妻ペギー・ドッド(エイミー・アダムス)の手コキシーンがえげつない。そこから緩やかに家族のバランスが崩壊へと向かうのだ。出所後、マスターはフレディに過度なプロセシングを要求し、フレディの男根を強引に去勢しようとする。一度はマスターに懐柔されたように見えたフレディの病巣は、ランカスター・トッドの2作目「割れた剣」の出版記念パーティにおいて再び燃え上がる。「目標設定ゲーム」と称されたいかにもインチキ臭いバイカー・ゲームの席で、フレディはイミテーションで結ばれた擬似父子関係を断ち切る。だが恋人にすぐに帰ると誓った彼の突然の帰還は、一転して悲劇に包まれる。幻視者の見る夢はPTSDで勃起不全だった男根を一瞬だけ取り戻すが、クライマックスに巧みに盛り込まれた1ショットが果たして主人公の退行なのか前進なのかは観る側の感性に委ねられる。初めてスクリーンで観た時には何が何やらさっぱりわからず、翌日も翌々日も観に行き、ようやく朧げながらフィルムの本質に触れることが出来た。2000年代のアメリカ映画で最も難解にして、実に挑発的な作品である。
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