JT

ザ・マスターのJTのレビュー・感想・評価

ザ・マスター(2012年製作の映画)
5.0
役者の底知れぬ熱量に悶絶した
咀嚼しきれていないのに確信を得た
これを傑作と呼ばんでなんと呼ぶ

2019 . 70 - 『The Master』

ホアキン演じる元海兵のフレディは退役後に精神を病んで酒と女に溺れ欲望の制御ができない。そんな彼がフィリップ・シーモア・ホフマン演じるランカスターに出会い、とある集団に招待される。ようやくフレディは自分の居場所を見つけたが、そこはコーズと言う名の新興宗教団体で、ランカスターはそこの教祖でマスターと呼ばれていた。

タイトルの"マスター"の意味は物事を学び物にする「習得」と、自分が誰かに仕えるもしくは誰かの上に立つ者として「師匠」「責任者」「支配」などの意味がある。今作では後者の意味合いが強く感じられ、教団の上に立つ教祖、マスターの存在と支配(洗脳)を表していると同時に、戦争の後遺症により精神を支配されたフレディを指している。

数奇な人生と不幸な巡り合わせ。フレディとマスターの間には奇妙な絆があった。友情よりももっと強く根深い繋がりがあった。互いに相手の中に自分を見ていたのだろう。でも時代が彼らを狂わせた。戦争が、国が、社会が、不条理が、目には見えない圧力と重力が彼らを繋ぎ止めては引き裂いた。国に仕えては捨てられて傷跡だけが残り続ける。答えなどない理不尽な世の中に真理を求めて、根拠のないものを抱き、自分に言い聞かせて理解を求める。常に誰かに仕えて、心は何かに支配されていた。不安や恐怖に駆られ信じられるものを求めた。それが間違ったことでも。決して出逢うはずのなかったふたりが出逢う。重なることのないもの同士が重なる。自分が何者なのかを見せてくれるから、たとえ偽りでも、善人でなくとも、自分を受けとめてくれる人なら誰でも良かった。時代が違えばそこには安堵するふたりがいたかもしれない。でも、あの時、あの場所には、彼らの居場所はなかった。だから、次はきっと、そう願った。感情に支配されない日は来るだろうか、見えない大きな力やそれを行使する組織に左右されない日は来るだろうか。何者にも縛られず、自分を生きる日が来るだろうか。"マスター"に仕えぬその日が来るまで生き続ける。"人生はひとつじゃない"と信じながら。

やっぱり自分は、決して強くない苦悩する人間を描いた映画が大好きで、様々な角度から映し出した人間のドラマが好きだ。ホアキン・フェニックスとフィリップシー・モア・ホフマンは本当に特別な俳優だと思う。2人の演技は本当に驚異的でこの作品を極上のものにした。そこにしっかりとしたストーリーがなくとも、そこに滲む感情はホンモノだ。味わったことのない不思議な感動に包まれる素晴らしい作品でした。
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