アキラナウェイ

風立ちぬのアキラナウェイのレビュー・感想・評価

風立ちぬ(2013年製作の映画)
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今回はすみません、映画のレビューではないです。

スタジオジブリ、特に宮崎駿監督作品についてちょっとだけお話しさせて下さい。

神戸の兵庫県立美術館でジブリの大博覧会が開催しております。7/1までだったので、何とか会社の休みを取って滑り込みで観てきました。

僕にとってスタジオジブリの作品はぜーんぶ宝物です。しかしながら、もののけ姫までで終わったとも言えます。僕が求めるスタジオジブリ作品はあくまでもののけ姫までなのです。

それでも、風の谷のナウシカから風立ちぬまでを通して観てきた人間として。この大博覧会は、原画やポスターが所狭しと並べられ、一つ一つの作品が持つ強い力が心に押し寄せてきて涙を堪えるのに必死でした。

平日での来館でもぎゅうぎゅう詰めの満員御礼。20代の若者達も、子ども連れのお母様方も多くて。

それでふと思ったんですけど、40代の僕らと20代の彼らと小さな子ども達とでは、スタジオジブリという名のアニメーションスタジオに対する想いが全然違うのです。

風の谷のナウシカで、辺境の地の姫君がただ1人混沌とした世界で戦う姿や、天空の城ラピュタの冒険活劇でワクワクした気持ちや、となりのトトロで懐かしく感じた昭和の匂いや雨の日の物悲しさや、魔女の宅急便における少女がほんの少し大人になる物語や、紅の豚で描かれる本当の意味でのカッコよさや、もののけ姫における何が善で何が悪かは最早割り切れない現実や、千と千尋の神隠しでやる気のなかった少女がパラレルワールドで生きる意味を見つける姿や、ハウルの動く城で違う者同士が肩を寄せ合って暮らす平和な情景や、崖の上のポニョでただ純粋に誰かを好きと思う気持ちや、風立ちぬの空と飛行機に思いを馳せるただ1人の男の人生や…。

僕にはその想いの全部があるんですけど、おそらく20代の若者達は千と千尋の神隠し以降のジブリを観ていて、小さな子ども達は崖の上のポニョ以降のジブリを観ている。

それは凄く凄くギャップがあるのです。

僕らは夢を信じてひたむきに頑張る幼少期を過ごしました。それはラピュタのパズーの様に。ただただひたむきに。

でも、恐らく20代の彼らは、何もかもが面倒臭くて無気力で。千と千尋の神隠しの千尋に自己投影して、それでも八百万の神が住む世界でまるでゲームで擬似体験する様に、湯屋での重労働を追体験する。

そして小さな子ども達は崖の上のポニョで、ただひたすら単純な「好き」という感情とわかりやすい主題歌で、ジブリを非常にポップに捉えている。

つまり、僕が言いたいのは宮崎駿というアニメーション監督は時代の空気感を常に敏感に感じ取り過ぎていたが故に、その都度世間に提供するアニメーション映画は、その世代ごとに「ウケる形」で創られ発信されてきたという事。

こんなおじさんの僕が涙を堪える様な想いは、20代の彼らにも小さな子ども達にも共感してもらえないと思うんです。

彼らは千と千尋の神隠し世代だし、彼女たちは崖の上のポニョ世代なんです。

20代の若者達が「昔のジブリは観てないわ〜」という言葉を呟き、小さな子ども達が額に入った原画やポスターのガラス面をべたべた触る様を見て、「いやいや、ジブリはそんなもんじゃねぇんだよ!」と言いたいんですけど、それは最早おじさんのただの戯言でしかなくて。

すみません、飲み会後にストロングチューハイを飲みながらスタジオジブリの30年の偉業に物申したくなった40代の戯言です。聴き流して下さいませ。

*スタジオジブリについて書きましたが、高畑勲監督、近藤喜文監督、宮崎吾朗監督、米林宏昌監督の作品には一切触れていない事をご容赦下さい。