独特な表現方法。
原作が評価されたのはこの作品が世の中の善と悪、おもにキリスト教における善と悪がきちんとそれぞれの人生に沿ったものになっているからかな。
アンナ・カレーニナは美しい、毒みたいな、それでいてピュアな大輪の花で…魅力的とは一言で言い表せないほど激しく、儚く、難しく、運命的な女性。
人を狂わせるどころか自分まで苦しんで…
彼女の本当の心のうちが分からないまま、というかこの映画に登場する人間の心って全然本心がわからずじまいで、表情で読み取るしかない。
この映画ではなんというか、邦画的とでも言える「笑顔でいながらも心のなかは泣いている」というのが表されていてよかったと思う。
激しい言葉のやり合いはあっても、どれも本心じゃなくて、でも本心で…ぐちゃぐちゃのアンナの心だけが鮮烈で怖いほどに素直だった。
画面のどれもが美しくて…キティはアレクセイに恋しているときは夢の少女といった感じだけれど、そのあとドーナル・グリーソン演じる農場主の良き妻になるのがよかった。善良な人は幸せな道を、罪を犯した人は不幸な道を辿っている。
舞台的な画面の切り替わりが印象的だった。原作を読むとこの演出にも意味があるのかしら? それにしても時間が経っているだろうに息子は全然成長したさまがなくてそれだけ不思議だったな。
アーロン…なんてハンサムなのか…あのくるくるとしたブロンドに熱烈なブルーの瞳、軍人らしいあの姿はもう虜になっちゃう。かっこいい…シクシク…あの人に求められ、苦悩させることができるのならアンナのように死んだって構わないと思えるほどの美男子だった。でも人間的魅力がどうだったかと聞かれるとちょっと分からない…
フランス文学をやっているから、この結末はすごく納得。悲しいけれど、このまま幸せになることはできない…運命の恋は良いものか悪いものかなんて分からないよね。それなのに激情を孕んだ恋の物語が人気なのは、それだけ、命をかけてもいいほどにその恋が自分をかき乱してくれるから、知らない自分を知れるから、どうしようもない自分の姿を見て憂いて、そして最上の喜びを知ることができるから。つまり自分の全てを知れるからだと思う。
彼女が幸せだったか、本当に罪人だったか、私たちには判断ができない。
自分の心に正直であった彼女のことを、気持ちを隠しながら生きるような人たちにはジャッジできないし、その逆も然り。
社交界というものは外から見れば華やかで美しい世界だけれど、最も濃密な人間関係が築かれる場所であり、多くの悦楽とともに苦しみをも生み出してしまうというのはこの作品でも表されているような…
あの息苦しい世界で上手く生きていけるようになるには、自分を偽ることができなければいけない。それができないほどにピュアだったのがアンナとアレクセイ。
夫の方のアレクセイはどこまでも悲しく切ない。可哀想な人。
ボヴァリー夫人を思い出してしまった。というかすごく似ていると思う、この二作品…
身の破滅だなんて経験したことがないけれど、軽蔑の念を持つどころか、憧れてしまうこういう恋の物語は私にとっては凄く魅力的、絶対に味わえない思いだと思うから。
アンナが身につけていたいくつかのCHANELのジュエリー、一目でわかった!CHANELってすてき、それだけの個性と強さがあって、つけた人を気高く見せてくれる気がする。この点においては世界一だと思う。
めくるめく世界で、そして音楽の悩ましさで頭の中がごちゃごちゃ。悩ましい作品だった。好きだな。