NAO141

偽りなき者のNAO141のレビュー・感想・評価

偽りなき者(2012年製作の映画)
4.5
やるせない…。
永遠に剥がれることのないレッテル。
物語の中心にあるのは〈疑念〉。
そして集団ヒステリーというか、〈人間の怖さ〉というものが描かれている。

『光のほうへ』で知られるデンマークの名匠トマス・ヴィンターベアが、『アフター・ウェディング』や『アナザーラウンド』でも有名なマッツ・ミケルセンを主演に迎えた社会派ヒューマンドラマ。
変質者の烙印を押された男が自らの尊厳を守り抜くため苦闘する姿を描く。2012年の第65回カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞にも輝いた作品である。
全体的に派手さはなく静かに物語が進む作品であるが、人の闇、コミュニティの闇、というものがよく描かれている。
静かな作品だから余計にリアリティがあり怖さを感じるのだ。

この世には当事者しかわからない事というものは多いものだ。確証がなく疑念だけの場合、我々は結局その相手が信用できるかどうかだけで判断していることは多い。関係性や距離感で相手を判断したり信用することは誰にでもあるはずだ。
しかしその相手についてよく知らない場合、我々は貼られた悪しきレッテルをそのまま〈その人(の印象)〉として捉えてしまう。我々は誰であれルーカスの立場にも町の人々の立場にもなり得る、その怖さを感じる作品だった。

ラストの展開はなんとなく予想はしていた「そういう展開になるだろうな」と。しかし本作はラストの衝撃含め、投石の件や犬の件など、実は犯人が最後まで明かされることなく終わるという点こそが重要というか、そこに怖さがあるのだ。本作は一見ハッピーエンドで終わるかと思いきやそんなに単純ではなかった。人をレッテルでしか判断出来ない〈顔の見えない偽善者たち〉は今も普通に町の中で生活をしている。これこそがこの作品の怖さ、いや真髄である。疑惑が晴れてもそれを認めない人間は存在する。「自分の見たい事しか見ない」人間の怖さ。

ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントは「本当の悪は平凡な人間の凡庸な悪」と言う。最大の悪とは「皆がやっているから」「常識だから」という平凡な人間の安易な思考性。周囲がそうしているから正しい…そういった考えは思考停止と同じと彼女は言う。人は染まりやすく、だからこそ、誰もが〈凡庸な悪〉になり得る。我々が簡単に陥る安易な思考性に対して警鐘を鳴らすような作品であった。
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