自分が欲してる言葉とか姿は自分とは真逆である。
特別と言われて喜ぶのは自分が普通だから。
特別いわれて悲しくなるのは普通になりたいから。
美しくなりたいとか、
幸せになりたいとか、
思ってるうちはどうにもならなあ。って思った。
その辺難しい。
自分が思ってる自分と、他人の目にこう写りたい自分。
そして、本当になりたい自分。
欲しいとか、なりないとか思わない感じないことが一番よい。
あるものだけで楽しい。
欲せずとも自分は楽しめる特別階級の感性をもっているんだ。
ひとりでも楽しいのに、なんで誰かを愛したりするんだろう。
この辺も難しい。
自分はただの容れ物だ。
自分はゾソタウンのダンボール。中身は自分しか知らない。
そんな難しい話じゃないのに、いろいろ感じることを考えて抜くって難しいけど面白い。
オードリーの髪の色とてもキレイだと思った。真っ白い肌に小さな顎に眼と口と鼻がファニーな位置にある。とても好きだ。
でもそこを好きだといっても喜んでくれないかな。それは商品が入ったゾソタウンのダンボールを褒めていることになるのかな。
中身が売れ残りセール品でもそんなキレイにラッピングされていたらとっても特別なものに見えるよう。
ゾソタウンのダンボールは商品に含まれますか?
好きについての考察は続く。