青山祐介

ザ・デッド/「ダブリン市民」よりの青山祐介のレビュー・感想・評価

4.5
『雪が宇宙のなかをしんしんと降りそそぐのを、そして、すべての生者たちと死者たちの上に、最後のときが到来したかのように、しんしんと降りそそぐのを耳にしながら、彼の魂はゆっくりと意識を失っていった。』(ジェイムズ・ジョイス「ダブリンの人びと ― 死者たち」米本義孝 訳)

ジョン・ヒューストンは、酸素マスクをつけてまで撮らなければならなかった最後の監督作品に、なぜジェイムズ・ジョイスの「ザ・デッド」を選んだのでしょうか。映画の冒頭に<ダブリン 1904年>のテロップが流れます。日付は1月6日、カトリック教会暦の公現祭(顕現祭)の祝日になります。現在では1月2日~8日の主日に祝われています。
アーヴィング・シンガーは、このテロップによって、映画は「物語世界を最初から過去のものとしてノスタルジックに提示してしまう」と批判的に書いています(『ジョイスの罠 ― 「ダブリナーズ」に嵌る方法』金井嘉彦・吉川信編 言叢社2016年)
ヒューストンのノスタルジックな過去とは何でしょう?父親への想いなのでしょうか?(俳優であった父はアイルランドの出身です)自分が純粋なアイルランド人の気質を受け継いでいる者と意識しているからなのでしょうか?
「死者たち」は1907年イタリアのトリエステで書かれ、ダブリンを遠く離れ、異国の地で放浪生活をするジョイスには、愛と憎しみの祖国アイルランドにたいするひとつの解答であり、コスモポリタンとして生きるジョイスの決意とも宣言とも受けとれる作品です。それから数ヵ月後の1904年6月16日は、「ブルームの日」として、永遠にのこる一日になります。それはヒューストンにとっても永遠の一日となりました。
まもなく死が訪れます。これはアイルランドの亡霊たちへの追悼なのでしょうか?亡霊たち ― 「ザ・デッド」は「亡霊たちの物語(スタニスロース)」と言われています。「すでに死んだ者」「死に近づいている者」「生きているが死んでいると同然の者」たちの亡霊の物語です。また、おのれの死の物語です。「他者の死を思い出し弔うとき、人は必然的に、自らの死を予期し弔うことになる ― ノウリ・ガーナ(同書)」のだからです。またこれは、アンジェリカ・ヒューストン(主演)とトニー・ヒューストン(脚本)にたいする「遺言」という可能性もあります。ヒューストンの「ザ・デッド」は、ジョイスの作品にもまして、不思議な謎を秘めた作品です。
物語もなかばにさしかかったところで、原作には登場しないミスター・グレイスという人物が一遍の詩を朗読します。勿論、原作にはない場面です。<破られた誓い>というアイルランドの古い歌謡で、ゲール語の詩を、グレゴリー夫人が英訳したものです。
♪ あなたは私から 東を奪い去り 私から西を奪い去った/あなたは私の前にあるものと 私の背後にあるものを奪った/あなたは私から 月を奪い太陽を奪い去った/やがて 私の恐れは 恐怖となる あなたは私から 神さえ奪い去った♪
ここに、この映画の秘密を解く鍵がありそうです。「ザ・デッド」は神の慈悲と赦しを請うヒューストンの祈りであるのかもしれません。
『そうです、わたしたちは冷たく青白い影、/地上で愛した美女(ノーラ、グレタ、モリー)も勇者(ジョイス)も死にました。/けれども、たとえこうして死んでいても、/若い日に戯れた野原や花畑の/生の吐息は香ばしく、/運命の命ずるままに/ヘクラの雪の中で凍てりつく前に/しばしその香を味わい、もう一度生きていると思いたい!』<おお、汝、死せる者たち> アイルランド歌謡集
青山祐介

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