映画漬廃人伊波興一

ホーリー・モーターズの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

ホーリー・モーターズ(2012年製作の映画)
3.9
来るべき2022年春の驚きを最大限に豊かにすべく

レオス・カラックス
『ホーリー・モーターズ』

レオス・カラックスの新作が、今夏のカンヌでオープニング上映された、と聞いた時は本当に胸躍る思いでした。

来春に日本でも公開される『Annette』という原題を持つこの新作はレオス・カラックスが還暦を迎えて初めて完成させた映画です。

しかもそれがダンスのないミュージカル(❗️)。
その上セリフもなく、登場人物の心情はすべて約40曲の歌曲で語られる、などと聞かされたら悠長に構えてなどいられません。

この映画との出逢いだけは何としても豊かなものにしたい。

そのために能う限りの準備と覚悟を周到に整えておかなければ。

何しろことはカラックスに関わる問題なのですから事態は間違いなく逼迫しているのです。

オリンピック観戦に忙し過ぎ、映画を観る余裕がなかった今夏の遅れを取り戻すように、8月下旬から9月半ばにかけて過去のレオス・カラックス作品全てを一挙に観直したはそうした理由によります。

カラックス映画の最大の魅力は何といっても、あらゆる意味で師と仰ぐ者をひとりも持たない不良少年が、原始的な直感力で(世界)を拵え、東京芸大あたりに倣うアカデミックな知性や権威、底意などを一瞬で翻してしまうような疾走感にあります。

それは1983年の処女作『ボーイ・ミーツ・ガール』から彼が50代に唯一発表した『ホーリー・モーターズ』まで一貫して変わりません。

同時期にデビューしたジャン=ジャック・ベネックスやリュック・ベッソンと同系列に並べた(ニューフレンチアクションの旗手)などという貧しいイメージで綴られた惹句を目にすれば時々悲しくなってきますね。

一匹狼の殺し屋レオンが孤児となったマチルダとの心の邂逅を、パペット人形を介して図ろうとする恥ずかしくて見てられない光景を臆面もなくスクリーンにおさめたり、自我を失いつつある恋人ベティとの格闘を押し付けがましい痛みで私たちに迫る作家ふたりが、デヴィッド・ボウイの旋律に自分の分身・アレックスを乗せて乱舞させたり、ロベール・ブレッソンの『白夜』の舞台として名高い聖地ポンヌフ橋を、南フランスの貯水池にそっくり再現して、満開の花火で彩ってしまう大胆な作家と同じ世界の住人であるなんてどうしても思えないからです。

今回観直した中で公開時に一度観たきりの『ホーリー・モーターズ』の夜の帳(とばり)にはとりわけ強く魅入られました。

夜といっても全編を漆黒の闇に沈めているわけではありません。

一日のアポ(任務)を遂行すべく地下水道からマンホールの蓋を開け、どこか日本的なペール・ラシェーズ墓地へ怪物と化して現れたドニ・ラヴァンがムシャムシャ咀嚼する供物の花が赤や黄色であるように、あるいは夜のパリ市を疾走する巨大な棺桶を思わせるリムジンが真っ白であるように、黒以外の色を持つ被写体全てが現れる都度、コントラストという名の原色液体がスクリーンに一滴ずつ嚥下され、夜の帳(とばり)を一層美しく画面に映え渡らせます。

世界でも数少ない女性撮影監督カロリーヌ・シャンプティエによる精緻なキャメラは、変幻自在に変身を繰り返す正体不明の男オスカー氏と、そんな彼にアポの指示を与える白い衣装の運転手兼秘書らしき老女エディット・スコブの蒼白の表情を、拡がりつつある夜の翳りに紛れ込ませるように的確に視覚化していきます。

演出と撮影の饗応という意味で『ホーリー・モーターズ』は、石井隆と佐々木原保志による『ヌードの夜』『GONIN』と共に最も美しい大都市の夜の帳(とばり)と観ている私たちを一蓮托生にしてしまった映画として記憶されるでしょう。

変身と奇行を繰り返すこのふたりの行く末にどんな黄昏が待ち受けているのか?

まだ観ぬ瞳のためにひとまず今は触れずにおきますが、ただひとつ、オスカー氏と中盤よりやや遅れて登場したジーン(カイリー・ミノーグ)ふたりが並んで大きな建物沿いから廃墟のような深夜のサマリテーヌ百貨店まで並んて歩む場面だけには目を凝らしていただきたい。

来るべき2022の春に日本に上陸する『Annette』という映画が前代未聞のミュージカルであるのは間違いない、という予兆がしっかりと刻まれているからです。