坐禅マニアのフリーターの私信

ホーリー・モーターズの坐禅マニアのフリーターの私信のネタバレレビュー・内容・結末

ホーリー・モーターズ(2012年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

聖なる動力・・・
モーターとは、運動・行為だ。ドニラヴァンが何重もの異物として、パリを駆け抜ける。身体そのものがカオスだ。カオスをカオスが駆け抜ける。カオスからカオスへ・・・そこにあるのは、運動・行為だけ。それが、美しい。
生きながら、死ぬこと。生かつ死。蝋燭の光のように、何かを使いながら、何かが発せられる、そして何一つ留まらない。そういう運動。

最後、「もう誰もモーターを愛さない」という嘆き。
モーターは映写機と重ねられる。これは、映画についての映画だ。行為の美しさとは、見るものに宿ると言う。今は、カメラが不可視化され、みんな仮面をつけてる。しかし、誰もそれに意識してない。だから、行為の美しさが存在する余地がない。監督の映画愛(憎)、引退宣言みたいに聞こえる。

結局、カラックスは最後まで俺は誰だ?に答えは出さない。核心は提示しない。観客は宙吊りにされる。でも、運動こそが核心だ。