アイム・ヒアのネタバレレビュー・内容・結末

アイム・ヒア2010年製作の映画)

I'M HERE

製作国:

上映時間:32分

3.9

「アイム・ヒア」に投稿されたネタバレ・内容・結末

『Her』へと繋がる非人間の恋愛。フランチェスカに対するシェルドンの自己犠牲を厭わない愛は極限まで達してしまっていて、正直共感は出来なかった、、シェルドン可愛そう。最後にフランチェスカに抱かれる頭だけのシェルドンの表情が絶妙で、どう取るかで映画の全体像が変わって見えてきそう。ガーフィールドのどもり演技大好き。
自分の一部を相手に与えるというのは、究極の愛の形だとおもう。
自分が与えられることを望むよりも、与えることで愛を示すというのは頷ける。
それをロボットのアニメーションでやることで、リアルさという雑音を廃して、とても大切な愛の形をシンプルに、クサくなく表現できてたとおもう。

プラグを彼女に繋ぐ、愛の営みの表現がなんとも神聖な艶かしさがあった。それも自分の一部を相手に与えるということでもあるな、とぼんやり考えた。
なんとなく社会からの疎外されているように感じていたり、所在なさを感じていたりするときに、自分のことを理解し、互いに尊敬できる他者ができたら、どうするだろうか。
きっとやはり、なるべく長く一緒にいたいとか、相手のためには尽くしたいとか、思うのではないだろうか。
ロボットである彼らにとっては、自分のパーツを差し出すことだったのではないか。
自分のパーツの一部が、愛する相手の一部として生き続けていることに、無償の愛とか親愛とかエロスみたいなのを感じた。彼らにとってはよい結末だったのかもしれない。
ロボットの話
音楽とかいろいろといい雰囲気の映画
自己犠牲が愛なのかな。そこは疑問だけど.....

人間も登場するけれど、ロボットたちの方が表情豊かで純粋に映る。そういう描き方をしてるにせよ、現実の私たち人間はどうだろう、なんて考える

すごく小さな、でもとても綺麗な石を集めた箱を、こっそり開けちゃった、みたいな...そんな感覚でした

EXTRASに収録されていた監督の言葉、

「感じとしてはLAにいる二十代前半の 金もなくて まだ何もできなくて 自分の世界しかなくて 夜中の駐車場とか誰かの家に転がりこむとか そんなことに楽しみを見いだしたりして・・・そんな世界にロボットたちも生きてる」

DVDで観るならぜひメイキングも!
果たして本当に「暖かい」「素敵」「愛」みたいな綺麗な言葉で片付けていいのか疑問な作品だった。
行き過ぎた愛の醜さや共依存の恐ろしさを感じた。

人間もこの主人公と彼女のように同じように利己的で愚かってことかな。

アンドリューの憂えた感じはとても良かったので、この点数。話としては全く納得いかない。
全部あげてもいい…

互いに存在を感謝する、ふたりのロボット。
ストーリーはもうまじどうでもいいよくある、自己犠牲って愛だよね!みたいなアンパンマン的な話なんだけど、
ロボットのデザインが可愛くてもう内容とかどうでもいい。
あとやっぱロボットの表情とかが作られたものでしかないから、
声とか動きとかカメラワークで全ての心情を表情しないといけないんだけど、
それが上手く描かれてて、スパイクジョーンズの演出力の高さを感じる。

ライブ行って腕とれちゃうとか、設定もいちいち可愛いくて、スパイクジョーンズの無二感が感じられる作品だった。
2015/05/24
無機質なものばっかり出てくるのにこんなに温かみがあるのは、光や音楽かなぁ、と思ったけど、違いますよね。
彼ら無機物じゃないんですよね。命があるんだから。

映画の中でロボットはほぼロボットしかいないコミュニティをつくっているし、街のおばさんの態度的にも、ロボットと人間は共存してるけど、差別のある世界だと思う。
スペアのパーツも簡単には手に入らないっぽいし。
自分も、彼らをいっとき無機物だと考えてしまったし。

そんな世界で恋をして、文字通り自分の全てを捧げて。
足をくれようとするシェルドンにフランチェスカが「私の気持ちは?」と言うけれど、本当にそうだと思った。
うまく恋ができないから、自分の身を削るしかない。
本当に本当に大好きだから、何にも苦痛じゃない。シェルドンはそれでいいかもしれないけど、フランチェスカはその気持ちや彼への感謝などが一生心につなぎとめられる。

差別のある世界なのかなぁ、と思いながら見ちゃったけど、差別がなかったとしても女の子のロボットはみんな髪の毛があったし、腕も足も丸みがあった。
ロボットはみんな服を着てた。

その環境で、シェルドンのパーツで生きていくフランチェスカ、、、大きな愛情を感じるし、幸せだけど、頭だけになってしまったシェルドンを膝に乗せて、、
そしてシェルドンの満たされた表情、、


自分の大切な人に何かあった時、全てをなげうってもその人の力になりたいけれど、それって突き詰めたら自己満足なのかなあ。


とか、30分の映画なのに身終えたあともなぜかものすごく色々考えてしまった。

あと大好きな絵本「大きな木」が元だと知り(wikiだから真偽はわからないけど)胸がより一層締め付けられた。
こう表現するんだね、スパイクジョーンズ、、、。

"Her"を観る前か観た後かは忘れてしまったんですけど、スパイク・ジョーンズのラブストーリーとして、本作はとても重要な一本だったように思えます。

"Her"もそうだし、"マルコビッチの穴"でも感じましたが、スパイク・ジョーンズの作品って、すごい変わったことが、僕らが普段過ごしている当たり前の日常に普通に存在していて、そこに生まれる変な差の面白さの表現と同時に、その差が表現されているからこそ分かる、普遍的な大切な何かが逆に浮き彫りになったりする作品だと僕は感じていて。そういう視点・観察眼があるからこそのスパイク・ジョーンズだと、僕は思うんです。

本作は、ロボット同士の恋物語。
ロボットの恋物語?と思うかもしれないんですけど、基本的な生活は人間と変わらないし、感情もあるんです。
動きは人間そのものだし、服も着るし、仲間とつるむし、クラブにも行くし、車にも乗るし、一人暮らしもする。ただ、ロボットなだけ。
それ以外は普遍的な愛の物語なんです。
自由奔放でおてんばで可愛らしい彼女が、パーツを壊してくるたび、彼は自分のパーツを彼女に付けてあげる。(結果的には、自分のパーツが欠落していくんですが...)
"私の男"の評で僕が書いた、

恋愛において、与え合う関係もあれば、片方がひたすら奪い続けていく関係もある

という点において、目に見える形では、本作も奪い続けていく物語のように見えますが、僕は違うと思います。言葉に出来る感覚の物ではない、だけど、自信を持って言えるものがあります。

また、与え続けることのできる相手と出会えたことが、本当の幸せということもあると思う、いや、あると信じたいと思うんです。
パーツというのはあくまで物語上のパーツにしか過ぎなく、男が彼女に与え続けたのはきっと、パーツ=愛だと思うんです、僕はそう思いたい。

本作を観ながら"セクシーボイスアンドロボ"の第二話"ゴボ蔵"の回で、ニコとロボ(本作のロボットとは無関係)の掛け合いを思い出し、見返しました。

ロボ
"内臓だって取り替えられる世の中で、絶対に取り替えのきかないものもあるんだよなぁ"
ニコ
"私も取り替えのきかない人に出会えるだろうか?会えるかどうかわからないけど、どこかにそんな人がいると思うだけで、どんなに、明日が楽しいだろう。そっか、それが恋愛か"

取り替えのきかない存在のために出来る愛情表現。
それは"私の男"とは質感の違う、温かい自己犠牲。
そんな風に人を愛せること、そんな人に出会えることは素敵なことです。
だから、僕は思います。
もし与え合い続けることができたのなら、例え僕がこの世界からいなくなっても、相手の心の中で"ここにいるよ(I'm here)"と言えると。
それこそが、スパイク・ジョーンズが語りたかった本質、この映画のメッセージだったのではないでしょうか?
30分の映画ですが、濃密で美しくて可笑しい愛の物語でした。
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