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893(ヤクザ)タクシーのnetfilmsのレビュー・感想・評価

893(ヤクザ)タクシー(1994年製作の映画)
4.4
 2週間前、銀竜商会の詐欺に引っかかり、1億円の手形を騙し取られた田中タクシー。社長の四郎は小学校時代の幼馴染だった猪鹿組の親分・猪鹿(上田耕一)に泣きつくが、騙された手形は500万円しか戻って来なかった。仁義を重んじる猪鹿は自動車教習所の教官を買収し、番頭の加島(黒沼弘巳)、勝政(寺島進)、宏らをタクシー運転手として働かせる。それから3日後、猪鹿組の若頭である誠二(豊原功補)が長い刑期からシャバへ帰って来る。誰も迎えに来ないことを訝しむ誠二を一台のタクシーが危うく轢きかける。激怒した誠二だったがそのまま田中タクシーへ連れ出される。娘の加奈子(森崎めぐみ)と社員の木村(大森嘉之)だけが残った田中タクシーで恐る恐るの教習訓練が始まった。偽の二種免許証を作り、路上練習も無事に終了し、何はともあれ一本立ちした頃、銀竜商会が刑事の橘(諏訪太朗)を買収し、一気に田中タクシーを潰しにかかるのだった。

 今作はジャンル映画で言うところの列記としたヤクザ映画である。長いお務めを終え、豊原功補が街へ戻る印象的な場面があるが、留置所の先にはすぐ森が広がっているのが黒沢作品らしい。森の中を抜けて本道に入った途端、見知らぬタクシーが後ろからスピードを上げて接近し、あやうく轢かれそうになる。この場面で横にはなぜかゴミ袋が無造作にうず高く積まれ、豊原功補の手により、案の定彼の舎弟はそのゴミ袋の山に放り投げられる。後の黒沢清の暴力のメイン・アイテムとなるダンボールやゴミ袋は、長編映画として今作で初めて登場した。『地獄の警備員』の半透明カーテンに加え、ダンボール、ゴミ袋の3つは既に90年代初頭には後の黒沢作品には欠かせないアイテムとなった。「仁義」を何よりも重んじる猪鹿組長の時代遅れの任侠道を黒沢は当初、ヤクザの世界のリアリティよりも、主人公たちのコミカルなやりとりに比重を置いた人物の動線を意識したナンセンスな物語へと書き直す。そのことがジャンル映画における未開の地を見つけることに大いに役立った。

 ヤクザ映画にとって最も重要なのは仁義と観念とペシミズムであろう。そういう人間の悲劇的な感情の部分を黒沢はあえて見ようとはしない。そのことが結果的に登場人物たちの動きの遊戯性を高め、どこまでもナンセンスな運動へと帰結する。後の黒沢清による脚本作品でも明らかなように、黒沢映画における悪党というのはちっとも悪党ではない。芦屋小雁も諏訪太朗もどことなくファニーな人物として物語の中で振舞う。芦屋小雁扮する大ボスである銀竜商会の会長は、手形を騙し取り、娘の加奈子を愛人にしようと目論む鬼畜のような人物であるが、どこかスケールが小さく、小心者の印象を我々に与える。諏訪太朗による悪徳警官も、当初は主人公にとって脅威となりそうな気配があるものの、出会いの場面以外ではその存在感をあまり発揮することがない。途中、田中タクシーの車を掴まえて十三埠頭に向かうまでは首尾よくこなしているものの、そこで手を下すのは諏訪太朗ではなく、暴走族なのである。クライマックスのカバンの追いかけっこは、本編のラストに相応しい遊戯性を讃えている。手形を入れたカバンの行方に敵・味方が一喜一憂する姿は、何とも微笑ましい。大の大人が草むらで手形の入ったカバンを追いかける。たったこれだけのことが、黒沢清のジャンル映画ではあまりにも重要な意味を持つ。
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