とらも

メイジーの瞳のとらものネタバレレビュー・内容・結末

メイジーの瞳(2012年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

名作

ストーリー上カタルシスがあるかと言われるとあまり無い、というか終始イライラが募る
メイジーの境遇が不憫であり、メイジーの実の両親に対する怒りを抑えながらみなければならない

しかし伝えたいメッセージが、親子関係の本質を貫いてると思う
それは親子関係の愛情は言葉ではなく行動で示すのだということ

この映画を見て実両親の味方をしたくなる人も結構多いのだろうと思う。実両親はメイジーを愛しているじゃないかというだろう
だけどはっきり言ってそんなものは愛ではない。自分の子供なのだからなんらかの特別な感情的結びつきが生まれるのは当然のことなのである。
愛情は意志や視点の広さである。「I love you」と言うことでも「I'll miss you」と言うことでもない。

自分の子供が好きな人を、けなすようなことをしてはいけないのだと気づける視点の広さをもつこと
子供と約束したことは守る意志の強さを持つこと
子供のために他の大切なものを犠牲にする意志をもつこと
子供が何を考えているか、聞くのではなく気づけてる視点の広さをもつこと

どれも実両親に足りていないことである
彼らは自分の感情の導きだけに従って行動してる未成熟な子供である
人間なのだから働かなくてはいけないし好きな人ができてしまうこともある。自分の子供が一番でないと感じる瞬間があるのは仕方のないことである。
しかしそれを見せないようにすることは愛があるなら当然しなければいけないことなのだ。彼らには愛がない。そのような子の実の子供として生まれてしまったメイジーが心からかわいそうなのである。

義両親はこの映画の救いである。彼らはメイジーのために自分たちを犠牲にする。メイジーが何を好きなのかよく知っている。メイジーの前でメイジーが好きな人の悪口を言ったりはしない。メイジーが彼らのような義両親と出会うことができたことは幸せなことである。

とかく親子関係というものは何の根拠もない神話に覆われている。血のつながりが大事だというのもこの国では強く信じられてる神話である。しかしながら必ずしもそうではない、むしろ親の資質としてのプライオリティーは7,8番目とかそんなものだろう。そういう馬鹿げた神話をはがす強力な物語だと思う。
残念ながら実の親子関係が法的にも社会的にも重要であることは事実だ。そうであるからできることならば実の親がこの映画の義両親のような人である子供が増えることを祈る。