emily

朝食、昼食、そして夕食のemilyのレビュー・感想・評価

朝食、昼食、そして夕食(2010年製作の映画)
4.0
スペイン巡礼の最終地として世界遺産にも登録されているガリシア州サンティアゴ・デ・コンポステーラ。朝食、昼食、夕食を通して、朝からビールを飲む主婦、前夜から飲み明かし、朝食になだれこむ男性二人、会いたい女性を待ち続けて一日中料理してる俳優、老夫婦、夜の誕生日パーティなど、それぞれが幸せを求めて葛藤する一日を即興を交えながら描かれている。

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朝食から夕食までの一日の食事とともに、誰かとかかわり、誰かと向き合い、路上ライブしている男の奏でる音楽が良いスパイスとなり、人々の隙間と、それでも生きていく一日は朝食に始まる夕食に終わる当たり前の日常を切り取り、人と対話することの大事さを問う作品となってる。

食事そのものを美しく映し湯気を感じさせる描写というものはない。それよりも食事はその内容より、誰と食べるかが大事である。そのすべてが集約されているのが老夫婦の二人の食事である。質素で会話はない。長年連れ添った夫婦が変わらず、朝食から夕食までを共にする。たったいっぱいの朝食のココアすらも穏やかで幸せに満ちている。大切な人がそこにいる。それだけで食事もおいしそうに、幸せそうに見えるのだ。

一人の昼食を避けるため昔の男を呼ぶ朝からビールの妻ソル。その呼ばれた男がストリートライブで小銭を稼いでる男である。この二人の昼食もかなり気まずい。好きだった女性に誘われてやってきたものの、何がしたいのかわからずあたふたする男。盗み見してるようなカメラワークによりその不穏感を演出している。スペインらしく常に赤ワインと生ハムが食卓にあり、サラダから始まるフルコースをもてなす。

スペイン人は昔から昼には2時間ほど時間をかけて食事をとる。会話を楽しみながら、一日で一番重い食事を摂取するのだ。そんな大事な昼食に気まずい雰囲気を漂わす食事ばかりの描写が続く。ゲイカップルの食事もかなり気まずい。それでもおいしい料理に罪はない。食事は心の本音を引き出し、会話を引き出し、それが良い方向に向かう場合もあるし逆もある。しかし会話するというのはどんな結果になっても大事だ。

そうして夕食には誕生日パーティが繰り広げられる。そこにはいろんな人が集まり、結局一日女性を待ち続けた俳優も合流する。朝からビールの妻は夫に一旦距離を置きたいことを打ち明ける。ずっと感じてた不安や悲しみをやっと打ち明けることができたのも、昼食からの流れがあったからだろう。

誰かと食事をする。きちんとテーブルを整えて、お皿を並べ、一杯の赤ワインがある。たとえ一人で食事をするとしても、人が生きるために必ず必要な行為食べることを大事にしたい。テーブルクロスを敷いて、好きな食器におかずを盛る。たったそれだけで一人の食事だって華やぐ。自分の体を作る食べること、その行為自体も大事にしたい。誰かと一緒ならなおさらだ。無言でもいい。誰かがそこにいる。一緒に食べる人がいるというのは幸せなことだ。

ある男が言った言葉が印象的だ。
「今は一人だと感じない。でも君と一緒に住めば、いつか君が出て行ったら孤独を感じてしまう。それが怖い」そんなニュアンスの事を言う。年齢を重ねた人らしいもっともらしい言葉である。それででも一日の食事の1回でも誰かと一緒なら、そこから会話が広がり、たった1回の食事で違う何かが見えてくるかもしれない。無限大に続く毎日の食事。その一回でも楽しく過ごせたら一日儲けもの。

まずはかわいいテーブルクロスとお気に入りのお皿で食事をしてみよう。

一人の食事でも気分が躍ること間違いないだろう。
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