mingo

愛のコリーダのmingoのレビュー・感想・評価

愛のコリーダ(1976年製作の映画)
4.0
渋谷イメージフォーラムにて大島渚レストロペクティブ「愛のコリーダ」の2000年公開版を鑑賞。

鑑賞の前に若松孝二と共に本作の助監督を務めた崔洋一のトークショーで大島渚の裏話をいくつか。
大島渚がラメ入りの背広から折り曲げた台本を、喫茶店で藤竜也に叩きつけて、じゃあとは崔くんよろしく!て帰ったのうけた。どんだけ〜

物語は、阿部定という女が恋人を絞殺した挙句に性器を切り取るという、36年に起きた「阿部定事件」を大島渚が76年に映画化した男女の愛執染着を描いた作品。

歴史的に奇怪な事件なことはもちろんなのだが、邦画史上初めて「本番」を描いたことが話題となった。
当時はあまりにも過激すぎて、崔洋一監督曰く本物のディレクターズカット版は世界で50人も観ていないという…。

今回観た2000年公開版は限りなくノーカットに近い形で編集されているらしいが、前編モザイクが出てこないシーンがないくらいである。
松田暎子と藤竜也の性器が完全に結合しており、観る人によってはAVだし、そうでない人も絶句のぶっ飛んだ作品である。それにもかかわらず、カンヌではプレミア上映11回とほぼ最多を誇り、他の追随を一切許さないアーティスティックな傑作であった。。。

北野武の龍三と7人の〜で絶賛主演中の藤竜也だが、若い頃の鋭い眼光からは想像もつかないほどのおおらかな包容力。ギャップにまいった。定が「あいつとやれ!」と言えば吉蔵は68歳のババアともやる。定が「殺されても文句は言いません、っていえ!」と命令すれば吉蔵は笑ってそれを復唱する。実際、定が吉蔵の首を絞めるシーンに、どうなるんだ…というドキドキ感とは裏腹に、一切の悲壮感を感じさせない。吉蔵を演じた藤竜也からは「惚れる」っていうのはこういうことなんだよ、その覚悟はあるかい?って聞こえてきそうである。藤竜也あっぱれである。

本作が究極の愛の物語と言われている所以は、男が女に惚れたなら、徹底的に尽くさないとダメだと訴えるからだ。
「俺は定がやりたいってことは、なんでもやらせてあげるよ」という台詞にはこの映画の真髄が詰まっている。

大島渚は割と観た気になっていたが、全然だった…作品の幅も底が見えないくらい広いし、あくまでエンタメとしてではなくアートとしての映画に落とし込むバランス感覚にはとにかく頭があがらない始末である。天才…

ほんとに、ホームレス役の殿山泰司の汚ねえ股間丸出しに、ババアの小便漏らしに、なぜこんな発想が浮かぶのか意味がわからない。とにかく天才…
mingo

mingo