何もかもが究極的

ブリーダーの何もかもが究極的のレビュー・感想・評価

ブリーダー(1999年製作の映画)
3.0
混ざりっけなしの100%本物。レフン監督の映画にはそんな宣伝文句がつきそうだ。
会話劇のぎこちない間や、恋人を妊娠させたキム・ボドゥニアの登場シーンには必ず流れる不協和音。
それらは友達との仲たがいや、恋人が気持ち悪い存在に思える瞬間、思わずキレてしまう瞬間に私達が経験し、頭の中で流れている音なのだ。
それらを特に加工もせずに、さあ食いやがれと言わんばかりに観客に突きつけてくる。
それはリアルな現実のように居心地が悪いものだが、見終わってこれは映画なんだと気付くと、凄い物を見たなという気になる。

追記:
雑文にさらに雑文を追記してみる。
もう他人が見たら何かわからないだろう。
アングル、音、小道具、場所そして役者は、本物を抽出する舞台装置であって誇張や捻じ曲げるものではないと思う。
別にドキュメンタリーがいいとか、メロドラマが悪いとか表現方法の話ではなく作り手が本物の何かを感じ、それを映画によって抽出しているかが重要だという事だ。
それをしようともしない映画が多すぎるので、昨今の有様になっているのではないだろうか?

追記:190207
恋人が妊娠し、彼女をなんとなく敬遠してしまう気持ち。そんな女から「私が汚く見える?」と言われる状況は不謹慎だがとても理解できる。
これまで二人三脚で持ちつ持たれつでやってきた存在が、母親になる事でいきなり自分に寄生する存在になるからだ。子供を理由に自分の将来の可能性を潰してくる存在。他人の将来よりも個人的な未来に重きを置いているとそうなると思う。
映画は別に理想像や青写真を描かなくてもいい。逆に不謹慎だが共感できるものの方が覗いてみたくなる。