しどけ梨太郎

ブリーダーのしどけ梨太郎のネタバレレビュー・内容・結末

ブリーダー(1999年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

「投影」の映画。主体性がない(≒人間的な豊かさがない)人間の話。
序盤の会話で、本当は子供なんて欲しくないのに彼女のルイーズ(リッケ・ルイーズ・アンデルソン)に話を合わせているレオ(キム・ボドゥニア)の主体性のなさが提示される。レオはルイーズの妊娠に動揺する自分に主体性のなさ、中身のなさを見出してしまい、そこから目をそらすために狂気に陥っていく。そして、ルイーズの兄のルイ(レヴィノ・イェンセン)にその狂気を「投影」して自己防衛を図る。しかし、それも破綻し破滅へと向かっていく。レオのラストはいわば認めたくない自分自身を他人に「投影」しそれを殺すことで擬似自殺をするというものだ。あれは恨みとかではなく、一種の自殺願望だ。ただ、認めたくなくてもそれは自分なのだから、それを殺せば自分も死ぬことになる。
もうひとつの「投影」はレニー(マッツ・ミケルセン)がレオに対して行うもの。レニーも話す内容が映画しかない人間で、言ってしまえば人間的な中身がない。レニーはレア(リヴ・コーフィックセン)との1回目のデートをすっぽかすが、ラストではもう一度挑戦してきちんとレアと向き合っている。この変化が何によって起こったのか考えてみると、レオの死が真っ先に思い浮かぶ。レオの埋葬(おそらく)に立ち会うのを嫌がるのは、自分が死んだように感じたからだろう。ただ、そのあとにレオの墓に行っていることから、その死に向き合えたことが分かる。言うなれば、レオの死というのはレニーの負の部分(主体性のなさ)の死ということになる。そこに「投影」がある。だから、最後にレニーはレアをもう一度デートに誘うことができた。レオは擬似自殺に失敗したが、レニーは擬似他殺に成功したのだ。
主体性がないのに主体性があると思い込もうとするレオと主体性がないことを受け入れ諦めているレニーとの対比。その差。

鑑賞者の暴力本能に訴えかけるような見え透いた赤の多用。牛じゃああるまいし。

レアが窓にもたれて窓の外を眺めるショットで、窓に映った顔が鑑賞者の正面を向くのが良かった。ドキッとした。

レオがはじめてルイーズを殴るところが最高。