荒野の狼

さらば箱舟の荒野の狼のレビュー・感想・評価

さらば箱舟(1982年製作の映画)
4.0
「さらば箱舟」は1984年公開の127分の作品。ガブリエル・ガルシア=マルケスの小説『百年の孤独』の映画化作品ということであるが、最も似ているのは舞台設定で原作はコロンビア、本作は沖縄の、架空の地域社会。そこには、外界と隔絶され土着の呪術的文化・習俗があり、時に他の土地からの来訪者によって最新の文明機器が紹介され、それが波紋を及ぼす。

マルケスの原作は魔術的リアリズムという言葉で紹介されることが多いが、「百年の孤独」も彼の他作品も、魔術や幽霊が登場することで辺境地の独自性を際立たせる効果はあるものの、真のメッセージはそこにはない。マルケスは、ノーベル賞受賞時の講演「ラテンアメリカの孤独」において、欧米は、(現在の)自分たちを測る物差しを南米に当てはめようとし、南米の現実とまったく関係のない(現在の欧米の)枠組みでとらえようとして、結果的に南米を遠ざけ、自由を奪い、「孤立」させて、南米人を「百年の孤独を運命づけられた一族」としたと述べている(「ぼくはスピーチをするために来たのではありません」p39。原作の「百年の孤独」は長年にわたり欧米によって搾取・植民地化された南米の顧みられない悲劇の歴史である1928年の「バナナ労働者虐殺事件」を小説のハイライトととし、高いメッセージ性を残す作品となった。

一方、沖縄も、かつては呪術(ユタなど)や妖怪(キジムナーなど)が身近にある土着文化の土地であったが、日本に同化され沖縄戦では捨て石となり鉄の暴風に晒され多大な犠牲を払わされた歴史がある。これはコロンビアの土着文化が失われ、アメリカによる「バナナ労働者虐殺事件」で住民が殺戮されたことと背景も歴史も極めて類似しており、監督の寺山修司が沖縄を撮影場所に選んだ意図が、この辺にあったとすれば、流石である。

しかし、映画が原作より使用した要素は、辺境地の(時に、懐かしさすら感じられる)閉鎖性・呪術的部分である。一方、これらの失われる要因となる出来事については触れられておらず、一番のメッセージを欠いてしまったいるのは残念。沖縄という土地・歴史を生かすのであれば、映画の最終盤は沖縄戦とし、何もかもを破壊し、失わせた外部からの介入(日本の同化政策と米軍の攻撃)を描いていれば、強いメッセージとなったはずで惜しい。もっとも、本映画が制作された当時は、南米の歴史・政治や、米国のCIA・大企業の介入について、日本で入手可能な知識は乏しく、寺山修司の「百年の孤独」の真のメッセージに対する理解も限られたものにならざるを得なかったことは想像に難くない。
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