マイケルピット目当てで。
初のベルトルッチ監督作品。
青春の恋愛映画と勘違いしていて、侮っていると、沼にハマってしまう今作品!!
もうね…私の無知が響いてしまった感が物凄くあって、そこが"自分が残念"🥲💦な映画でもありました。
1968年のパリの『五月革命』がまず分からず…💦
何故に毛沢東の旗を振っていたのか…等。
当時のフランスの若者は毛沢東を崇めていたのでしょうか??えー?えーっ!えー❓‼️
それとベルトルッチ監督が時々差し込むオマージュとしての1930年代の映画の数々。
流石に1930年代の映画は人生でまだ殆どと言って良いほど観ておらず
グレタガルボの名前を知っていたり…それぐらいの知識。
ゴダールの映画「勝手にしやがれ」が流れて来た映画の割と前半シーンで、お!!ってなったぐらい。
オールドムービーを観ているかたには、より一層、作品に寄り添う事が出来ただろうかと思うと、残念でなりません💦
それでも、突然始まるオープニングからのジャズのドラムのシーンが物凄くカッコ良くて
米国人留学生であるマシュー(マイケルピット)の細いパンツとジャケット姿の1960年代終わりのスタイリッシュなファッション…。
それは、マシューが知り合った同じ歳で21歳である"一卵性双生児"である双子の姉弟のイザベル(エヴァグリーン)とテオ(ルイガレル)のファッションも。
映画館で煙草を吸っていて、咥え煙草の灰が長く溜まっていたり…
と、一見するとパリのオシャレ映画なのかもと思って来るのですが、そうでも無い。
一瞬でイザベルに恋に落ちるマシューでしたが
異常な関係にも思えるほど双子の絆は固い。
映画のシーンを真似して、美術館の廊下を3人で走るシーン辺りまでは微笑ましく観ていたのですけれどもね…
マシューに対し、これから一体何が起こり、マシューがどんな経験をするのか…が観て行くうちに怖くなって来たのですよね…。
「何の映画でしょうか?」
クイズで
当てられ無かったら、マスターベーションをイザベルがテオに強制したり
逆にテオがイザベルにマシューとのセックスを強制したり…
イザベルに激しく惹かれていたマシューはその時はラッキーだったかもしれませんが
マシューは、イザベルとテオの行動に、始終 口をポカーンと開けて驚いてばかりいて…。
後半はほぼほぼ、3人が全裸か半裸で過ごすシーンばかりですが
3人で一緒にお風呂に入ったり
ワインで酔っぱらったり
小さな子供がビニール製のプールに3人で入っているかのような?平和感…からの
泡風呂に浸かりながら、テオからマシューへと仕掛けた議論。
あくまでも暴力反対のマシューに対して、
「お前の国アメリカはベトナムで戦争をしているじゃないか!!は?人間を大量に殺戮する戦争なんかが綺麗事かよ!!」
のテオのセリフ。
親のバカンスの間にイザベルとテオの家で同居生活をするマシューですが、夢のような生活でもあり、地獄のような生活でもあった事。
どんなにイザベルに想いを寄せても
イザベルとテオは親身一体として、3人で一つにもなれない、イザベルとテオの間にも入れないマシューの苦悩が見て分かるほど。
そういった、絶対的に"譲れない価値観"の相違のようなもの。
私は自分の思想に対して価値観が合わない人とは、どんな人でも絶対的に相入れる事が出来ない人間なので、そこは深く理解が出来ました。
パリを舞台にしながらも
流れて来るジャニスジョップリンやジミヘンドリクスの曲が不思議なのですが、これがとてもマッチしているのですよね♪♬
結局のところ、アメリカ人であるマシューは
Stingの曲である"Englishman in New York"の歌詞ように
"I'm an alien"(エイリアンは外国人と言う意味もあり)に過ぎなかった事。
※行間あけます。
イザベルがテオと親身一体として、決して離れられない関係であり、
テオが女性を家に連れ込んでセックスしている事を知り、イザベルが取り乱すシーン。
結局はマシューの手を離して、テオの腕にしがみつき、暴動の煙に消え去るラストシーンが、とても切なかったです。
と、自分の文章がクサ過ぎて堅苦し過ぎて難し過ぎて何を書いているのか分からなくなりました💦