しめじろー

わたしはロランスのしめじろーのレビュー・感想・評価

わたしはロランス(2012年製作の映画)
4.4
ユジク阿佐ヶ谷が休館してしまうことを未だに受け入れられない…。家から徒歩数分の映画館で、大変お世話になりました。来週ここで『ニュー・シネマ・パラダイス』を見たら泣いてしまうかもしれない…。

高校の国語教師として働く青年ロランスは、生徒からの人望も厚く、彼女であるフレッドと順風満帆な日々を過ごしていた。しかしある日、彼はずっと蓋をしていた自身の思いをフレッドに打ち明ける。「女になりたい。僕は間違った体に生まれたんだ…。」これは、トランスジェンダーであるロランスとその恋人フレッドの、愛と葛藤の10年間を描いた物語である。

【愛がすべてを 変えてくれたら いいのに】
映画を見終わったあと、ポスターに添えられたこのコピーを見つけて胸が締め付けられました。すごい。この言葉がこの映画の全てを表している。
身体的性が男、性自認が女であるロランスと、その恋人フレッドのお話ですが、いわゆるLGBT映画と安易にカテゴライズできません。その葛藤、すれ違い、胸を掻き毟るほどの愛は、普通の男女にもあり、普通の男女にはない、ただただロランスとフレッドの物語なのでした。
舞台は1980年代後半〜1990年代。新しい価値観が受け入れられ始めた時代で、寛容であれという理想は共有されているが好奇の目で見られるしマイノリティゆえの不利益も被るという、微妙でデリケートな時代設定となっています。これがとても上手いです。自分を、相手を、求める心と拒絶する心。ロランスもフレッドも、このアンビバレントな思いを持て余し振り回されるけども、この時代背景も一つの要因となっています。今は2020年だけども、世界はいい方向に変わっているだろうか…。

ロランスが女性になりたいこと。フレッドが男性を求めること。そこにマイノリティもマジョリティもなくて、「そういう趣向」という平行線があるだけではないか。「ロランスだから」好きと、「フレッドだから」好きは、似ているようで全く違う。ロランスはフレッド側にだけ壁を乗り越えることを強要していて、不公平ではないだろうか。
そういう意味で、中盤以降の展開には正直ちょっと乗れませんでしたね…。ロランスの本能に訴えるアプローチの数々は、気持ちは分かりつつ、ずるいとも思います。あと単純に私が恋愛映画苦手なことも大きい。(くっつくならはよくっつけや!めんどくせえ!と思ってしまう。こんなんだから彼氏ができないのだ…)

映画を彩るのは、華やかなファッションと、おしゃれで直感的な演出。フレッドが衝撃と恋慕に襲われるシーンでは部屋に大量の水が降り注ぎ、幸せに満たされるシーンではカラフルな洗濯物が空を舞う。これを撮ったグザヴィエ・ドラン監督は当時23歳…。ひええ。才能に慄いてしまう。

ただただ2人の愛を、感情を、人生を描いた、見応えのある作品でした。こんな話が書けるなんてすごいな。監督の他の映画も見てみたい。