KnightsofOdessa

フリークス(怪物團/神の子ら)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

3.9
No.68[同情も所詮は傲慢な上から目線である] 80点↗

なんとも評価の付け難い作品であるが、見世物小屋の呼び込みからキャリアをスタートさせたブラウニングらしい慈愛に満ちた平等な目線で彼らを見つめている。

見世物小屋で働くフリークたちを見ていた観客の価値観というのがブランコ乗りクレオパトラや怪力男ヘラクレスに代表される差別的な目線であって、終始人間でないと見下し終いには営利目的で殺人まで働こうとする。この軽蔑の目線というのが”人権”やらなんやらに包まれて放置されているのを考えると、彼らを取り巻く状況というのは昔とあまり変わっていない。マイノリティを理解するにはマイノリティにならないと分からない(「紳士協定」みたい)のは理解するが、アヒルみたいにするエンディングは衝撃的すぎる。

フリークにも二種類いて、下半身のないジョニー・エックや腕のないフランセス・オコナーのような”不足型”とエレファントマンのような”過剰型”がいると思うのだが、本作品には前者しか出てこない。ブラウニングの頭の中でどういう感情が働いていたのだろうか?

昔見た「ゴッド・ブレス・アメリカ」という映画の中で、”ムカつく奴殺してまわろう”の一環で障害者をコケにして笑う番組に乗り込んだ際、出演者はコケにされていることを知らないからかわいそうという前提があったのだが、結局彼らはコケにされていることを知って番組に出ていた(から映画では彼らも殺して主人公も殺されるのだが)。かわいそうという感情も軽蔑の感情と同じく上から目線であることを自覚したほうが良いのかもしれない。軽蔑でないだけマシなだけだろう。
それを当時から完璧に理解していたブラウニングはフリークな彼らの日常を切り取って提示することで我々は彼らが普通の人間と同じように暮らしていることを理解するし、エンディングまでの流麗な物語で我々の中にある差別の目線を暴き出し、それを殺させるのだ。