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親密さのネットのレビュー・感想・評価

親密さ(2012年製作の映画)
4.5
見てよかった。
何かとんでもないことが起きていたような気がしたのに、映像で見るとそうでもない、という言葉が序盤にある。その言葉をこの映画は覆していく。
言葉で溢れている映画を最近よく見るのだけど、どれも全然信じられなかった。言葉だけが上滑りしていって、俳優の身体と言葉が乖離しているような印象を受けるものが多かった。でもこの映画の言葉たちはなぜかこちらに届く。届きやすい言葉なのか、俳優の声の問題なのか。ともかく、俳優が脚本に言わされている/身体を操られている感じがなかった。人が生きていた。これはナチュラリズムとかそういうことじゃない。『寝ても覚めても』の「だから謝らへん」のような言葉の届け方。
自分が今まで見ていた言葉の映画は、言葉を届ける気が無い/言葉をうまく届けられていない映画だったのだろう。言葉が上滑りしないようにするには、時間をかける必要があるのかもしれない。4時間という上映時間とか橋のシーンみたいに。
ただ、橋のシーンをどう受け止めていいのかはよくわからない。ここは俳優の身振りはさして重要じゃなく、ひたすら言葉だけが前景に浮かび上がる。映画において音と画面がズレていても問題ないのは当たり前で、このシーンは言葉と俳優の動きが合ってるかなんて全然わからない。俳優の身体と脚本という言葉さえあれば映画はできる、というのは同意だけど、橋のシーンは身体すら必要ないのだと言っているように見えた。
となるとやはりラストシーン、あれは俳優の躍動する身体が輝くのだけど、ここは言葉はさして重要ではない。ように見える。なんならすごく古典的に感じる。
じゃあ結局言葉と身体どっちが重要なの、という問いに対してこの映画が提示してるのは、どっちも重要だけど時間の方がもっと重要だということなのかもしれない。橋のシーンには、対立から和解へ向かう言葉たちの時間があり、歩きながら夜明けを共に迎える二人の俳優の時間があり、それを見続ける私たちの時間がある。二人が撮影現場で時間をかけて歩いたことが作り手にとって大事で、その記録を私たちが見聞きすることで、作り手が体感した時間を観客も体感することが大事なのかもしれない。

2019年という年は『寝ても覚めても』と『きみの鳥はうたえる』が公開された年として自分の中で記憶され続けるので、どうしても比較をしてしまう。ケータイのメールの内容が重要な濱口竜介。メールを打つ時の表情が重要な三宅唱。もちろん、文字の意味が無効化される画面もあるのだけれど。
自分の実人生に照らしてみると、自分はここで語られている問題以前のところにとどまっているなあと思ったり。自分の生きてる価値とか考えてしまうな。

カラックスとカーウァイのポストカードを壁に貼りまくってるのはなんかやだ。これは趣味の問題。
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