親密さの作品情報・感想・評価

親密さ2012年製作の映画)

上映日:2013年05月25日

製作国:

上映時間:255分

4.3

あらすじ

「親密さ」に投稿された感想・評価

菩薩

菩薩の感想・評価

5.0
私は貴方ではなく、貴方は私ではない。

私は貴方の為に生まれて来たのではないし、
生きているわけでもなく、
貴方は私の為に生まれた来たのではないし、
生きているわけではない。

だから私が思う貴方は貴方ではないし、貴方が思う私は私ではない。

でもそもそも私は私ではないし、
貴方は貴方でもないかもしれない。

私には私の世界があり、
貴方には貴方の世界があり、
私には私の世界のルールがあり、
貴方には貴方の世界のルールがある。

でも私は貴方になりたいと思うし、
貴方にも私になって欲しいと願ってしまう。
私は貴方になれないし、
貴方は私にはなれないと分かっていながら。

私は一人で生きていく事が出来る。
貴方は一人で生きていく事が出来る。
でも私は一人で生きていくのは寂しい。
貴方は一人で生きていくのは寂しい?

集団と個、そして自分と他者の関係。暴力、その定義と意義。人生は幾らでも遅らせる事が出来る、諦める事も出来る、けれども人は必ず、死ぬ。それは酷な事かもしれないが、人を殺さず、自分を殺さず、そんな道を模索する選択肢が、我々には残されいるのも事実。

私は貴方が望む私でいられるであろうか。
貴方は私が望む貴方でいてくれるだろうか。
私は貴方を知りたい、貴方に私を知ってもらいたい、そう願ってしまうのは、罪な事だろうか。
境界線、それを踏み越える事、私の世界に貴方を招き入れ、貴方の世界に私が参加する事。


自分が毎日考えに考え抜いて、それでも全く答えが出ない事に、この映画は一筋の光を与えてくれた。文句無しの人生ベスト。私はこんな映画を観たいと思って生きて来た気がする。そしてまたこんな映画と交錯出来る日を夢見て、生きていけそうな気がする。やはりどうしたって、夜は明けるのだ。
自己と他者をつなぐ言葉。流動的な自己の想いを言語化する。それすら困難なことなのに他者に自分を理解して愛してもらうことはもっと難しい。誰もが無意識のうちに諦めて見ないようにしてしまう感情や関係性を解体し、鑑賞者に向き合わせる濱口監督は本当に凄い。

2回目鑑賞。自分なりに解釈するには時間が足りないほどの膨大な言葉。それらの全てを受け止めきることはできない。「自己と他者との関係」というシンプルな主題と設定は、あまりにも広義な意味を含んでいる。やはり詩集のように繰り返し味わうべき作品なのではないか。
miwachan

miwachanの感想・評価

4.8
今まで見た映画のラストシーンの中で一番好きかもしれない
Timewalk

Timewalkの感想・評価

3.5
2018.9.28 キネカ大森
採点不可である。わたしにはこれは映画ではなく、かといって演劇でもなく、言葉という最小であり最初の記号を惜しみなく詰め込んだある種の言葉遊びであると感じた。人物関係の描き方はさすがとしか言いようがない。ハッピーアワーが出来た背景が存分に、そして滑らかに自分の中に入り込むのを感じた。
この間、三宅唱に卒論を何で書くのか聞かれたので『親密さ』で書くと答えたら「『親密さ』に俺出てるの気づいた?」と言われたので、注意して見直したら本当に三宅唱が映り込んでた。


1回目 青山シアター

演劇パートのShort Versionでの鑑賞。
近くで向き合う2人の関係は亀裂が入り、大事なことは同じ方向を向いて言葉にする。それでも言えない思いをなんとか手紙や詩に託して拡散する。
「さようなら」を言うためのラストの畳み掛け方の鮮やかさに泣く。


2回目 9月28日@キネカ大森

キネカ大森の濱口竜介アーリーワークスによって遂にロングバージョン鑑賞。

ショートバージョンはすでに鑑賞していたこともあり、展開は知っていたが前半パートラストの夜明けの橋とショートバージョンではカットされていた後半パートの電車のショットが見れて満足。
最初から良平がいかにも気難しいメンヘラ男みたいで嫌でしょうがなかったのだが、最後には少しだけ好きになれてよかった。


ティーチインでも話していた通り、映画におけるフィクションの演技はより自然に見せることが求められるのに対し、演劇的な演技は明らかに露骨なフィクションだ。
良平が劇中に読むポエムのような説教臭さは、ドキュメンタリーや、映画のようなリアルな日常会話では恐らく生まれ辛さがある。
実際前半のドキュメンタリーパートで戦争というフィクションが起きた並行世界において、良平の態度や言葉は、所属する劇団の中で明らかに浮いていて、支離滅裂にさえ見える。
後半の演劇パートでは、演劇という露骨なフィクションによって、説教臭い言葉は説得力を持つ。
そして舞台を終えて映画のフィクションに戻る2年後の世界。
戦争によって軍服を着用している昔の演劇仲間は矢張り現実離れしていて、見た目的には浮いて見えるが、4時間も劇場で過ごして演劇の舞台を見届けた観客の僕は、この目の前のスクリーンに投射される映画のフィクションを受け止め、感動せざるを得なかった。
戦争にまきこまれたと現代日本いうパラレルワールドが舞台。
劇団の演出家と役者たちのドラマである第一部と、彼らが上演する演劇そのものである第二部との入れ子構造。

第一部ラストちかくの長回しでの主役ふたりの会話は、永遠に続くかと思えるような素晴らしさ。
Kaba

Kabaの感想・評価

5.0
答え全て

夜(夜明け)心が通う人と道を歩くあの充足感と浮き足立つ感じ、それをそっくりそのまま画面の中に閉じ込めている。
そう歩ける相手が今はいなくても、これを見ればあの気持ちを愛しく思い呼び起こせるかもしれない。

人と人の関係を、深めることは
それは自分の中の相手のイメージと、そこに実在する相手をどうにか擦り合わせていくこと。
寝ても覚めても、ハッピーアワーでも同じようなことを感じたし、ナンシーも恋愛についてで同じことを言っていて、ここに芯があるなあと私は思った。
りっく

りっくの感想・評価

4.6
対話から人間関係を引き出す濱口監督らしく、自分と他人は違う人間であるという前提から、他者と対話することで相手を知り、関係性を構築していくという過程をワークショップで見せる場面が上手い。

そこで人間など分かり合えなくていいと思っていた脚本家の男が、同棲している演出家の女と深夜の電車を降り、端を歩きながら夜明けを迎え、彼らの関係性も修復される長回し場面の美しさ。

その他にも、「親密さ」という演劇のキャスティングが発表される際、あるいは本番まであまり時間がない中で、本読みや稽古をせずにワークショップばかり実施する演出家に対しての、冷ややかな視線や表情を素早い切り返しで映し出すスリリングなテンポ感。

演出家として脚本家として役者をまとめ、自分の意思を伝え、一つの作品を完成させるまでの困難さと、そこに信頼や人間関係を獲得するまでの言葉の積み重ねが本当に巧い前半部。

そして「親密さ」という演劇が上演される第2部では、からだという入れ物に閉じ込められた魂が相手に触れようとする「恋愛」について「話し言葉」ではなく「書き言葉」でストレートに演者の口から語られる。魂というやわらかいものが、言葉という固いものに傷つけられながらも、それでも人は自分と違う他者から愛され認められつながることを渇望する。人を丸ごと「肯定」すること。それがどんなに素晴らしいものかを実感させる。また「PASSION」の女教師を連想させる「暴力とは何も選べないことである」という自論を展開する男の迫真の台詞回しに固唾をのんだ。

ラストも素晴らしい。演劇から2年後、演劇関係の出版社の編集として働き、まだ演劇も行っている女と、途中で演劇を抜け出して韓国の軍隊に入隊した男が偶然鉢合わせする。そんな二人を乗せた2代の列車が並走し、二人は無邪気に列車内を走り窓の外の互いの顔を見て笑いあう。そんな列車が分岐点をむかえ徐々に離れていくカットの美しさよ。それは人の出会いと別れであり、英俊時代に出会った仲間とのそれぞれの人生の岐路であり、モノづくりをするために奮闘した仲間たちが散り散りになるという宿命にも見え、心に深い余韻を残す。
かなえ

かなえの感想・評価

5.0
0315(2018)

一番に思い出すのは「あの電車は乗らん方が良い雰囲気醸しとった!」って言葉や。東富山駅、富山湾岩瀬浜、夕方3時半。駅の待合室に座って、その人が現れたんはそっから20分近く待った4時前。歩み寄る野暮ったいその歩き方、頭をぐっと下げてさも首にかけとる紐を外すみたいに必要以上の大きさで行われるイヤホンを取るたったそれだけの動作。前髪をぶるっと振る犬みたいなその癖。それら1つ1つをあたしは一時停止して、それぞれを1時間は見とりたかった。海まで向かう途中彼が買ったジュースは梅よろし、あたしはその人と話さんくなってから、何本も何本もそれを買うことになることを想像もせんだ。海で何喋ったんか全然覚えとらん。でもそん時の空は、ほんまに不思議な色をしとって、それぞれがそれぞれの色を持つ責任感を完全に放棄して、混ざり混ざった綺麗な色らが、飴色を作っとった。水平線にぼやけながら、でもはっきりした1本の線がすうっと入っとって、あの光はなんやろうと二人で話した。「黄昏にあの日二人で眺めた謎の光思い出す」スピッツのみなとは、彼があたしに教えてくれた歌やった。それを歌った。二人で知っとる歌を何曲か歌った。防波堤を超えて波打ち際まで行く時に彼が、そこら辺に落ちとった大きな木の枝を拾って「武器持ってかんとな!」と言った。砂浜にそれで彼がなんか書いたけど何書いたか覚えてない。「死」って書いとった気がする。それにあたしは静かに憤ったかもしれん。覚えとらん、曖昧や。あたしとおる時くらい、死ぬことなんか考えんで欲しかった。夕日が沈むまでそこにおって、真っ暗になった帰り道に、「今日家に家族おらんがよね」と彼が言った。帰りの時間はぎりぎりだった。どうにでもなってしまいたいこのままって感情に占拠されそうになる。帰りの時間大丈夫け、チャリ乗ってくけ、二人乗りできるかな、俺前下手なんよね、あたし重いよ、結局二人乗りは断ったけど、あん時1回くらいしとけば良かったなってその後何回も考えた。あたしが乗るはずだった電車が横を通った時に彼が言った。「あの電車は乗らん方が良い雰囲気醸しとった」かもしとった、なんて言葉他に誰が使うんやとそこに笑った。電車をまっとる間、彼があたしに帽子をかぶせてきた。彼が新しく買ったニット帽で、あたしはその色をLINEで一発で当てた。あたしはそこで泣けてきた。彼が東京に行ってしまう。行ったら絶対に何かが変わる。彼はあたしと話してくれんくなるやろう。向こうには絶対にあたしの敵わん凄い人達がいっぱいおる。彼はあたしのことを思い出すことも考えることもせんくなるやろう。今日ここに海に来たことも、覚えとるんはあたしだけになるかもしれん。泣いてウロウロしとるあたしを、彼は黙って見とった。電車が来て別れた。帰って眠った。帰ったあと「かなえさんとばらの花歌ったん、死ぬまで忘れんわ」彼がそう言った。彼にそう言われたんを、あたしは死ぬまで忘れられんやろうとしか思えんかった。ばらの花にこういう歌詞がある。「最終バス乗り過ごしても君に会えない。あんなに近づいたのに遠くなってゆく。だけどこんなに胸が痛むのは、何の花に例えられましょう」彼の隣をあたしが歩けたんは、今思えば数えるくらいしか無い。海に行ったんも、1回だけしかない。二人乗りも出来んかった。でも彼はあたしの歴史の一部やった。あたしを生かす、すくいぬしだった。安心な僕らは旅に出たかった。思い切り泣いたり、笑ったりしたかったんだ、多分。
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