NAO141

ハンナ・アーレントのNAO141のレビュー・感想・評価

ハンナ・アーレント(2012年製作の映画)
4.5
個人的にとても気に入っている作品。自分を戒めるためにも大切にしている作品である。やや難解であり作品のテーマは正直重い。しかしながら高尚であり教養としてもとても良い作品である。友人や後輩に「お薦め作品は何か」と訊かれれば必ず本作を紹介し貸し出している笑。
日本では2013年に岩波ホールで公開され、約10年ぶりに初日から2日連続で満席の観客を集めその後も観客の行列が出る盛況となった作品である。

学生時代は歴史・哲学・心理学を学んでいた。その時に本作の主人公〈ハンナ・アーレント〉の著作『エルサレムのアイヒマン:悪の陳腐さについての報告』という本に出会い、とても衝撃を受けたことを思い出す。彼女が主張する〈悪の陳腐さ(凡庸な悪)〉とはいかなるものか、それは簡単に言えば「第二次大戦中に起きたナチスによるユダヤ人迫害のような悪は、根源的なものではなく、思考や判断を停止し外的規範に盲従した人々によって行われた陳腐なものだが、表層的な悪であるからこそ、社会に蔓延し世界を荒廃させうる」ということである。つまり〈悪〉とは「システムを無批判に受け入れること」であり、その上で彼女は〈陳腐〉という言葉を用いて、この「システムを無批判に受け入れるという悪」は、我々の誰もが犯すことになってもおかしくないのだ、という警鐘を鳴らしている。〈悪〉というものは能動的になされるものだと考えられることが多いが、ハンナ・アーレントは意図することなく受動的になされることにこそ〈悪〉の本質があるかもしれないと指摘しているわけである。〈思考停止に陥ること〉、それこそが最も恐ろしいことである、と。

我々も普段意識していなくても思考停止になっていることは多い。
「みんながやっているから」
「会社のルールだから」
周囲を見て判断し、職場のルール・上司の指示として行動していることは多い。
いじめや誹謗中傷も同じであり、直接会った事がなくても中傷し、皆が嫌っていれば何故か自分もその相手が嫌いになる(なったような気になり)いじめに加わる。直接自分の目で確かめ、考え、検証する事が大切なはずが、自分で考えず周りの意見や空気に流され、同調圧力に屈し、命令に流されるまま何かを実行する時、そこに〈凡庸な悪〉が生まれる。
社会的風潮や集団的思考に流されたり、メディア情報を鵜呑みにしたり、自身の思考が停止してしまえば、誰もが〈凡庸な悪〉となり得るのだ。

本作を通して学ぶべきは彼女のような〈信念〉を貫くことの大切さ、だけではなく、例え批判に晒されても勇気を持って〈思考を働かせ続けること〉の重要性であると感じる。本作は伝記映画でもあるが、敢えてハンナの生涯全体を描くのではなく大きな社会問題となったアイヒマン騒動にのみ焦点を当てているため、ハンナの主張・考え方が明確に伝わってくる。その脚本と演出が素晴らしい。

我々は日々どれだけのことを自分自身で考えているだろうか。思考力を失い、すべてを無批判に受け入れているだけでは、誰もが〈凡庸な悪〉となり得る。
ハンナ・アーレントという人物とその哲学を学生時代に学べたことはとても良かった。本作は難解で重くひたすらに会話劇ではあるが多くの人に観てほしい!
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