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私は20歳のROYのレビュー・感想・評価

私は20歳(1965年製作の映画)
4.8
束の間のまばゆさの中を君たちは走りぬけていく。

朝もやにけむるモスクワ、誰もが通りすぎる青春の時。その喜び、とまどいをみずみずしい映像で描いたマルレン・フツイエフの監督の不朽の名作!

タルコフスキーやコンチャロフスキーが出てる。

60年代のモスクワを舞台に、当時のソ連の若者の姿を追った青春映画。

■NOTE I
『Senses of Cinema』の記事を翻訳してみました。(https://note.com/roy1999/n/nd43cda4ed467)

■NOTE II
1960年代の青春映画で、ソ連の戦時中世代とそれ以降の世代の違いを描いている。雪解けの時期に撮影されたこの映画は、多くの検閲を受け、シーンは撮り直し、再編集を余儀なくされた。映画自体は、マルレン・フツイエフの優れた演出により、叙情的な小説のように展開する。脚本は60年代のカルト詩人ゲンナジー・シュパリコフが共同執筆している。一方、アンドレイ・タルコフスキーやミハイル・コンチャロフスキーなど、後の巨匠たちが重要な役柄で出演している。

■NOTE III
60年代のモスクワを舞台に、当時のロシアの若者の姿を追った青春映画。62年に製作されたものの、フルシチョフによって検閲され、修正版が作られた。しかし65年のヴェネチア映画祭でこの版は審査員特別賞を得ると同時に、第1回ローマ国際映画祭で金賞を受賞。90年に監督自ら復元版を完成、日本がこの復元完全版の世界初公開となった。マルレン・フツィエフ監督は、セルゲイ・パラジャーノフと同じく、イーゴリ・サフチェンコ監督モスクワ国立映画大学で師事し、58年に第1作『二人のフョードル』を完成させた。その後、ミハイル・ロンムの遺作となった『それでも私は信じる』を共同で完成させるなど製作を続けている。脚本はG・ダネリア監督の『私はモスクワを歩く』で高い評価を得たゲンナジー・シバリコフ。ヌーヴェル・ヴァーグ的作風を彷彿とさせる撮影は、後にバレエ映画『アンナ・カレーニナ』(日本未公開)を監督し、直後に他界したマルガリータ・ピリーヒナ。音楽はN・シデリニコフが担当し、ロシア民謡とともに、『聖者の行進』を始めとするアメリカのジャズやダンス・ミュージックが使用されている。美術はイリーナ・ザハーロワ。出演は主役のヴァレンティン・ポポフ、本作出演後にミハルコフの『五つの夜に』に出演したスタニスラフ・リュブシン、マリアンナ・ヴェルティンスカヤなど、新人俳優で固められている。その中には後に一連のアンドレイ・タルコフスキーの作品に顔を覗かせるニコライ・グベンコも含まれている。また、まだ若々しいアンドレイ・タルコフスキー、ミハイル・コンチャロフスキーや、エフトゥシェンコ、アフマドゥーリナといった著名な詩人たちも姿を見せている。(映画.comより)

■NOTE IV(チラシより)
何かを待ちこがれながら、あてどない時間の中で、人生に悩み、恋の喜びを知る——。『私は20歳』は、誰もが通りすぎる青春の時、人生で一番美しく輝く時を生きる若者たちの姿を、1960年代初頭のモスクワを舞台に、みずみずしい映像で描いた不朽の名作である。この作品は、1950年代末に登場し、現在も第一線で活躍するマルレンフツィエフ監督によって1962年に完成された。スターリンのあとを受けたフルシチョフ首相による、“雪どけ”の時代の清新な空気を反映させたこの作品は、第二次世界大戦で父親を失った若者たちの魂の物律を描写している。しかし、彼ら若者と、戦争と革命を体験した旧世代との断絶を率直に語っていたために、早くも自由化にプレーキをかけ始めたフルシチョフの怒りを買い、大幅修正を余儀なくされて、公開も1965年まで延期された。このような政治的影響による悲運にもかかわらず、修正版は1965年ヴェネチア国際映画祭で審査員特別賞、同年の第1回ローマ国際映画祭で金賞を受賞した。その後1986年にはじまったペレストロイカと同時に、監督自らオリジナル版を復元し、さらに補正を行い、ようやく1990年に現在の完全版が完成した。軒余曲折を経て、『私は20歳』は蘇った。しかし、30余年の歳月を経ても、この作品が藩える清剤なロマンティシズムが色あせることはない。日本では、今回が初公開であり、完全版公開は世界初となる。

1960年のモスクワ。兵役から帰ってきたセリョージャは、友人たちと共に自由な日々をすごすうちに、やがて自分が何を求めているかを悩みはじめる。友人たちもそれぞれの悩みがあった—— スラーバは早くに結婚し子供も生まれていたが、すでに生活に疲れている。ピアノを弾いたり詩を書いたり芸術家気取りのコーリャも、日々の生活に空しさを覚えていた。初夏に始まったセリョージャのアーニャへの恋、やがて秋の訪れとともに内省的になるセリョージャ。雪に閉ざされ心まで頑なになるが、やがて雪どけの音が雨どいに響きわたり新しい季節をむかえると、彼の心にふたたび希望がわいてくる。アーニャとのめぐり会い、駿雨のあとの甘いキス。そして青年たちはそれぞれの道を歩みだしていく。

うつりかわりゆく四季の風景に若者たちの心もようを重ね合わせた素晴らしい映像は、女性撮影監督マルガリータ・ピリーヒナによるものだ。彼女は繊細かつ大胆な映像表現の名手である。作品の冒頭2分間にわたる長回し、夜露にぬれる白夜のモスクワの街並みも見事ながら、集団住宅の階段を駆け降りるカメラのスピード感や実際のメーデーのパレードシーンなど、印象深いモノクロームの映像の数々は、フランスのヌーヴェル・ヴァーグにおけるパリの街の青春群像をも思い起こさせることだろう。しかし惜しくもピリーヒナは、映画監督進出第一作演出後に他界した。また音楽もロシアの民族音楽の他に、“聖者の行進”などアメリカのジャズやダンスミュージックが使用され、当時のモスクワのモダンな生活風景も描かれている。

キャストには、セリョージャ役に青春の喜びと苦悩を細やかに演じたヴァレンティンボポフ。気ままに生きる芸術指向の強いコーリャを演じるニコライグベンコは、俳優として活躍すると共に数多くの映画の監督として評価を得ている。家庭生活に悩むスラーバに『五つの夜に』(79)のスタニスラフ・リュブシン。セリョージャが一目ぼれをするアーニャには、マリアンナヴェルティンスカヤ。彼らは、いずれも新人発掘の名手といわれるフツィエフ監督に抜擢された。また特別出演として、『惑星ソラリス』(72)、『鏡』(74)などの見事な作品を残し、1986年ガンに倒れたアンドレイ・タルコフスキーの若々しい姿が見られる。また、エフトゥシェンコ、オクジャワなど世界的に評価されている詩人たちの朗読会の映像が挿入されており、貴重な時代の証言にもなっている。

■COMMENTS
今年度で閉館が決まった「岩波ホール」でかつて公開されていたそうですね。

チラシ/劇中では、セルゲイ(ヴァレンティン・ポポフ)がセリョージャと表記/呼称されていた。セリョージャはセルゲイの愛称。ちなみに、オレグの愛称は男性だとオレジェク、女性だとオーリャらしい。

それにしてもソ連映画は本当にエネルギーが凄い。演出?人が多いから?フィルムの質感?サウンド・エフェクト?ロシア語の力?ソ連時代の社会性?それを受けてのロシア人の精神?全部だな。騒がしいから沈黙が怖い。

結構終盤でタルコフスキーが出てきた。10秒くらいだけど。「これで伝統的なものがすべて揃った。スリッパ、ジャガイモ、そして古い儀式の歌。必要なのは、ジプシーとクマだけだ」
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