1960年代ロシア・ニューウエーブの金字塔と称される一本。ロシアがスターリン主義から脱した雪解け時代の青春映画。マルレン・フツィエフ監督はアンドレイ・タルコフスキー、アンドレイ・コンチャロフの全ロシア映画大学の先輩にあたり、二人はチョイ役で出演。脚本は二人の盟友ゲンナジー・シュパリコフ。制作は1959~1961年だが検閲を受け1965年公開。
1960年頃、西側文化が流入し大きく社会が変わりつつあるモスクワ。2年間の兵役を終えて帰って来たセルゲイは2人の親友と再会する。スラヴァは結婚して子供もいるが現在の生活に満足していない。楽観的で女たらしのニコライは職場で上司との問題を抱えていた。セルゲイは新たな人生の目的を模索する中、メーデーのパレードでで出会ったアーニャという娘に一目惚れする。。。
凄く良い映画だった。同時代ソ連の「鶴は翔んでゆく」(1957)を彷彿とさせるクレーン撮影と手持ちカメラででモスクワの街を活写し、変化の時代に直面した青春像をナイーブに描きあげていた。風景論好きとしては60年代モスクワのクレムリン寺院群と赤の広場、街頭の景色をたっぷりと堪能出来たのも楽しかった。
時期的には初期ヌーベルヴァグと重なるモラトリアム映画だが手法も内容もベクトルは別物。都会の中での実存を描いている点ではアントニオーニ監督を連想した。
終盤の展開は実に意外であり秀逸。新時代を生きるヒロインとその仲間たち(演ずるのはタルコフスキーら)のパーティーで、“ジャガイモ”にロシアの伝統精神を思い出す主人公。時代の過渡期にアイデンティティを失いそうになった時、立ち現れた幻想との対話が彼の救いとなる。戦死した父親の享年を自身が既に上回っていることに気付き、歴史の中で生きていることを改めて自覚することで孤独を脱するのだ。オープニングとエンディングが“インターナショナル”の戦慄と共に円環する構成は感動的だった。
本作は日本では未公開だったが、1960年前後の日本の青春メンタリティとつながっているように思えた。当時の若者たちがうたごえ喫茶で親しんだロシア民謡が媒介になっているのかもしれない。
アントニオーニ監督 1912生
フツィエフ監督 1925生
トリュフォー監督 1932生