OASIS

ソウル・フラワー・トレインのOASISのレビュー・感想・評価

4.5
大阪で暮らす一人娘ユキに会いに出かけた大分に住む父親が、その道中で娘と同じ年頃の女の子あかねと知り合い、大阪の街を案内される事になるという、西ロビン原作短編の映画化。

上映後の西尾孔志監督(枚方市の生涯学習センターの職員だったとか)の講演会が映画の本編以上に(もちろん映画も素晴らしいのだけど)有意義で興味深くて、こっちの方がメインじゃないかと思う程楽しい時間だった。
「パリ、テキサス」の息子との再開シーンや「パンチドランク・ラブ」の二人がキスするシーンなどを抜き出した感情表現や演出方法の解説、映画監督としての現場での役割や映画の製作過程の話などなど、映画の見方が変わるような知識の深まる内容に非常に満足した。
資金繰りやらタイトなスケジュールの中での撮影敢行やらを聞いてしまうと、明日から映画を観る時にはピンと姿勢を正さなくてはいけないような気さえしてきた(スコアはそれも込み)。

映画は、監督も語っていた通り「東京物語」的な親と子の関係を意識した「大阪物語」ともいうべき内容。
平田満演じる古き良き日本の父親像を体現したオヤジと、親元を離れバレエダンサーを目指すまだまだ若い娘との物語に、ちょっと訳ありな金髪の女の子あかねが加わる。
驚いたのは、あかねというキャラクターが原作には全く登場しないオリジナルだという事。
それにしては映画の世界観から飛び抜けて逸脱する事も無く、女の子が女性として自立する(「フラワー・トレイン」ってそういう意味かよ!)というテーマにも合っていて、むしろ原作に居ないというのが信じられないくらい魅力的なキャラクターであった。
登場時には眩しい金髪だが、あることをきっかけに黒々とした黒髪に変化していく所もそのギャップが良い。

天王寺を中心とし、通天閣や新世界といった大阪のディープスポットを巡る前半部分は、串カツの二度づけ禁止やらのベタな大阪あるあるが続く。
大阪に住んでいながら一回も行った事の無い、新世界国際劇場の上映作品が「コンテイジョン」と「ホーボー・ウィズ・ショットガン」だったのは客層や町の雰囲気と相まって苦味や酸味があった。
そしてストリップ劇場が舞台となる後半。
正直ストリップが見られる場所も知らないしもちろん行った事も無い僕からすれば、目の前の光景にリアリティがあるのかどうかは分からなかったが、その場の男達から発せられる空気やピンク色の照明(撮影監督がかなり良い仕事してるシーン)にあてられてまるで常連みたいな気分になってくる。
ただ、映画の中の客からは丸見えなのだろうが、足の組み替えやら「花電車」でさえチラリともブツを見せないその徹底したカメラアングルが芸術的な側面を感じさせ、ストリッパーを下衆な者として捉えていないという底辺の人達に対しての優しい目線みたいなものが現れていて良かったと思う。

娘の家に泊まる場面の落ち着かなくてぎこちない感じや、何かを隠していると思われる娘に対してあえて何も触れようとしない父と子のむず痒いような距離の取り方にも前時代的な趣がある。
娘の二つの秘密(もう一つは結局仄めかされたままなのだが)についても、「おまえが選んだのなら全力でやれ」という「リトル・ダンサー」的な父と子のドラマがある。
そう捉えるとあかねと親の間の話は若干違う気もするが、二人の父親が花電車の中で語り合うというファンタジーの中では、両者の父と娘の関係が上手くリンクしていたとは思う。

ラストの、娘の書いた「うん、頑張る。」の文字には涙してしまった。
それが風に飛ばされて行くという所も、あかねが父の遺灰を空に撒くという部分と重なって、娘と父、そして父と娘それぞれの「自立」が切なくも輝かしく描かれていた。

監督は、この映画がきっかけでテレビ局製作の大資本作品に抜擢されたのだとか。
なんだか大物監督になる匂いがプンプンして来ましたなぁ。
直接お話を聞けたことを宝物として心に残しつつ、西尾孔志監督の次回作「函館珈琲(仮題)」も楽しみにしてます。
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