もっちゃん

リアリティのダンスのもっちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

リアリティのダンス(2013年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

ホドロフスキーの幼少期を具現化した自伝のような作品。自伝ではあるけれど、それはホドロフスキーというフィルターを通すことでこれほどまでに難解に寓話的になる。

どの人間にも共通することだが、幼少期に人間形成に深くかかわってくるのは両親の存在が大きい。ホドロフスキーの両親は厳格なユダヤ人・共産主義の父とオペラ歌手に憧れていた信仰心豊かな母である。これだけでもう普通ではない幼少期が思い浮かぶ。

今作は幼ホドロフスキーを描いているというよりもむしろおそらく彼の人格を形成することの一助となった両親(特に父)の人生に内容を多くさいている。軍事政権下のチリではカルロス・イバニェスが厳しい独裁体制を敷いていた。このイバニェスという人物は二度(27₋31、52₋58)チリ大統領の座についているため、おそらく今作の時代背景から考えると彼が二度目の政権に就く前の軍事クーデターの時期に相当すると考えられる。

実際に彼の退任後の政権は結局彼の傀儡政権に過ぎず、依然として彼の権限は強かったようである。アメリカに亡命していた右派よりの彼にとってはホドロフスキーの父のような共産党員は真っ先に弾圧の対象だったのであろう。今作ではそんな時代背景のもとに構成されている。

共産主義を是とする父はこの不平等が渦巻く世界(今作でもダイナマイトによって四肢を吹っ飛ばされた労働者が登場する)に対して強い憤りを感じていたかもしれないが、自らの息子が彼らに関わろうとすると反発した。「女々しいやつだ」とホドロフスキーに喝を入れる父に対して恐れと強い欺瞞を感じ取っていたのは確かであろう。共産主義者が正しいことを言っているとは限らない、と。

そんな厳格な父のアンチテーゼが信仰心の篤い母である。極めつけは黒死病(ペスト)が町にやってきたときに感染してしまった父をオシッコ(聖水)で治癒する場面である。彼女の信仰心の強さゆえに為せる業であるが、結局父の考えはそのあとも変わることなく神の存在を否定し続けた。

父がイバニェス暗殺に出かけた後の期間はほとんど父の物語に多くを割いていたが、ある意味でホドロフスキーの人格を育成するには一番大きな役割を担ったように感じる。母と二人で残されることになった幼きホドロフスキーは母に信仰こそが彼を救ってくれるということを徐々に学んでいった。その「信仰心」「神の肯定」がその後の彼の作品の中で生きているテーマである。

その後はどんどん傲慢さを削り取られていく父の「巡礼」の様子を描き、ラストの「イバニェス=スターリン=父」の肖像を燃やす印象的なシーンである。結局父は信仰の対象であるスターリンと憎悪の対象であるイバニェスに共通する何かを見出してしまったのである。自分が目指すべき指標が暗殺するべき人物と一致してしまったことでまるで「自らを殺す」ような錯覚に陥ってしまったのである。だがそれは結果的に彼の傲慢さを削除することにつながったのだが。

幼きホドロフスキーの傍らにそっと現れる現在のホドロフスキーが印象的だが、この同居する「過去」と「未来」の姿は両者においても救済を与えるものになっている。ユダヤ人の子供として馬鹿にされながら幼少期を送った彼は未来の自分がいるからこそその苦しみに耐えることができる。そして現在の彼は幼少期のつらい体験があったからこそそれを作品に反映させながら昇華させることができる。そう、この作品をつづること自体が彼の救いとなるのである。