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ハーメルンのNMのレビュー・感想・評価

ハーメルン(2013年製作の映画)
4.0
なんとも景色が美しい。そして静か。
これは映画館で観たらさぞ良かったことだろう。
15分ぐらい観た時点で既に感動する。
美しい自然をゆっくり撮る、それだけである程度作品は成立するものなのかもしれない。

これを家で観る場合、いかに手を止めて集中できるかが鍵。
画面が固まったのかと思ってしまうほどただ立ったまま深く考えるシーンなどは多い。しかしこれは、説明描写の少ないこの作品で、何が起こり、人物が何を考えているのかを、観客が考える時間でもある。後から、あれはこういうことだったのかと整理する必要も出てくる。早送りなどせずじっくり考えながら観ないと、ストーリーが追えずに終わり、せっかく長い時間かけても無駄になってしまう。
日本のどこかで起きていてもおかしくない、現実的なストーリー。

冒頭だけでなく、度々様々な山の景色が挟まれる。
海外の、『大いなる沈黙』とかも素敵だが、日本にもそれに劣らない貴重な時間・場所が、人知れず存在していると気付かされる。

廃校になった学校に住み続ける元校長。
朝にはコーヒー豆をひき、夜にはそのサイフォンを洗う。
とても静かで、ゆっくりとした時間が流れる。
しかし彼には、そこに山ほどの思い出があり、きっと孤独ではなくむしろうるさいぐらいなのではないだろうか。
色とりどりに紅葉している木々たちも、移り変わる天気とともに日々たくさんのメッセージをくれるに違いない。

それを示した後で、ここが取り壊しになることが知らされる。そんな、今来たとこなのに、というような感じ。

さらに、閉館した映画館にも同じく寡黙な老人が出てくる。

そこへやってくるのは西島秀俊というキャスティングもベスト。じゃなければ吉岡秀隆ぐらいしかいない。目か大きい、声の大きいような人は似合わない。
白いコットンシャツに、厚手のグレーのウール。服装も完璧。

作品内の時間もゆったり流れる。1カットが長めで、実際の間合いそのままを観ているよう。

田舎だからといって、人々にやたら方言を使わせないことに好感を持った。
そもそもこの作品は、セリフの量が圧倒的に少ない。
ある会話は、質問に対してすぐはいやいいえを答えず、そのまま次のカットに移ることでどう答えたか分かる。
コーヒーを薦めるときも、良かったらちょっとお座りになってコーヒーでもいかがですか、などとペラペラと喋らない。無言か、一言程度。

地元の住民に場所貸ししているのか、楽器の練習をしている三人の男が、なかなか上達せず同じフレーズを何度も練習しているのがじわじわと面白い。

他に、リツコの飲み屋では、耳を澄ませば聴こえる程度というボリュームで武満の小さな空が、入院中の綾子先生が唱歌の椰子の実を口ずさむなど、奇をてらわない素朴な音楽も魅力。クラシックのド定番も使われるが、ベタ感は全くない。

元校庭かどこかで、いつも何かしら焚き火をするのが、実に田舎らしくて良い。都会ではまず見かけない。そこに着目する視点が素晴らしいと思う。

あっという間に半分が過ぎる。
後半にかけていよいよ、西島演じる元卒業生・野田が、なぜ母校に来ても、先生がたに会っても、ずっと浮かない顔でいるのかがほんのりと明かされていく。

村の人々は殆どみな顔見知りのはず。バラバラに紹介されてきたこれらの人々の繋がりも、示される。
野田以外にも、校長や映画館長も、みんな決して暗いわけではないものの、ほとんど笑わない。山奥に一人で住んでいれば誰でもそんな感じだとも考えられるが、実はみんな胸に過去の重いものを抱えている。他人から見たらさして重要ではなくとも、本人には重要で大切な思い出。
忘れようとしているけど実は大切なもの、はこの映画の主題。

こんな雰囲気の中なので、「飲めるようになったのか?」とか、「それがどうなったらどうなるんでしょうね?」などのくだりの些細なやり取りが際立ってみえ、絶妙なおかしみを感じさせる。間を充分に取って、タメが効いているのもある。

イチョウの大木が切られる、という一つのファクターが色々なことを象徴しているように思った。

イチョウの葉が全部散ったら出ていくよ、と言っていた校長。出てどこに行くのかと言うと、意外な場所だった。

校長がなぜあのタイムカプセルを探していたのかも何となく伺わせる。

ロケ地の喰丸小学校は実在で、取り壊しが決まっていたのも本当。全国を探し回っていた監督の目に留まり、取り壊しは延期。その後東北大震災などを経て撮影、さらにクラウドファンディング等もあって、リフォームも経て、小学校は現在もコミュニティスペースとして存立。喰丸小は奥会津にあり、冬は2mも積雪することも撮影が長期に及んだ一因。

誰か力のある作家にノベライズしてもらいたい。
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