富裕層の自己中でかまってちゃんのいわゆる"おばちゃん" のおはなし。金と権力ですべてが自分の思いどおりになると信じて疑わない痛々しさがとても哀しい。ならない電話。強制しないと会いにこない息子。この事故を境に忙しくなった彼女が幸せそうにみえたのが一番滑稽で寂しかった。
筋くれだった手で息子をマッサージしながら、癒されていたのはきっと彼女自身。息子の感情を欠いた表情からは、もうなんの幸福も見つけられそうもない虚無が覗いていた。なにもかも与えられすぎた可哀想な不幸せ。彼が子どもをもつことを恐れるわけが、痛いほどわかって泣けてきた。
最後に流した涙もきっと、自分たちのためなのだろう。けれどあの車のなかは彼らなりの 純真さ で満たされ、距離を置くべき息子と優しくするべき母親と変わりうる自分が、彼らにはまだ存在しているという救いが、仄かに薫った。
"上" 同士の暗黙のうちにやりとりされている気色の悪い取引だとか。どうしたって、収容される間際にようやく過失を認めた あのひと を、思い出さずにいられない。
あと "おばちゃん" ってどうしてなんでもかんでも寄越してくるのだろう。承認欲求のカタチなのかもしれないね。いちおばちゃんとして気をつけよう。なんておもったりなどした。