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私の、息子のRのレビュー・感想・評価

私の、息子(2013年製作の映画)
4.7
すごい映画があるもんだ! こんな何とも言えない映画があるものなのか! んんんーーーマジ何を言ったらいいのかわからない。モヤモヤ感、スッキリ感、どっちでもない、限りなく白でも黒でもなく、グレーでもない、グラデーションでもない。いろんな気持ちが重なり合って入り乱れてグッタリ。この微妙さ、複雑さこそがこの映画の見どころなのでしょう。主人公はルーマニアのアッパークラスの建築家コルネリア。彼女は絵に描いたような富裕層の自己中心主義者で、なんでもかんでも自分の思うがままにできると思っていて、奔放に暮らしているのだが、ひとつだけ思い通りにいかないものが、彼女の、息子。息子バルブは仕事をすることもなく、親の与えたマンションにだらだら暮らし、こぶつき女カルメンと同棲してる。母コルネリアは、人生でただひとり愛しているのが息子のバルブであるため、彼を奪っていったカルメンを恨んでる。バルブは親離れができないまま過干渉な母を憎んでいて、できるだけ関わりなくないようだ。そんなある夜、バルブはとんでもない事故を起こしてしまう。高速道路に突然飛び出してきた子どもを轢き殺してしまったのだ。さっそく警察に駆けつけ、子どもを殺されて泣いている親族には目もくれず、バルブのいる部屋に入っていく。このとき、本作のひとつの大きなテーマが浮かび上がる。コルネリアはファーのついた高級そうなコートを身にまとっている一方、犠牲者側はごく普通かちょっと低いくらいな感じの服を着てる。生活レベルがまったく違うのだ。コルネリアは、窮地の息子を何とか助けてやろうと、警察に取り入ったり、コネを使ったり、金で目撃者の証言を換えようと試みるのだが……という流れで、まず母を演じるルミニツァゲオルジウの演技が非常に興味深い。ほんまに自分と息子のことしか頭になく、その他すべてを脇役以下のものとして切り捨てるか、利用するか、みたいなイヤーな感じがプンプンする一方、息子に対する愛はべったりし過ぎて、気持ち悪いくらい。特に、あざのできた背中にローションを塗ってマッサージしてあげるシーンの妙な感じ、おええええ。触れてすらほしくないれって言う息子の気持ちわかるー! けど母ってものはそもそもそういうものなのかもしれないな、とも思いつつ、たとえば、事故を起こしたのが、僕のめちゃくちゃ深く愛してる人だったらどうだろうか、と考えてみる。もうその人いがい自分の人生にはだれもいない、しかも自分も年老いてしまっているという状況であったとしたら。もちろん、その人に監獄になんて入ってほしくない。できるなら、何とか罪を問われない方向に…と、策を練ってしまうのも分からないでもない。だから、めちゃくちゃ嫌なおばさんなはずなのに、切実としか形容しようのない、切迫した気持ちを抱かずにはいられない。これは、いままさに老境に踏み込んでいる世の母たちに見てもらって直接感想をきいてみたい。犠牲者に対する非情な対応はひどすぎる、誰がどうみてもひどすぎるのだが、どうだろう、老いて筋張って皮膚がぼそぼそになってきた自分を鏡に眺めながら美容液を塗る姿、あれを見て、ただ彼女を批判の角度からのみ見ることができるだろうか。そして、どう考えても遺伝でしかない、彼女のダメな部分にさらに拍車をかけたようなダメ息子。でもかわいくてしょうがないんだろ、わかる、わかるよ、ダメ男だからこそなんだよね!!! 社会的な背景を残酷に静かにあぶり出しながら、ついに到達するクライマックスは、見る側の心地悪さをドン底にまで深めてくれます。だが……そこにどんな感情があろうとも、どんな意味があろうとも、それはハートブレイクでしかない。僕はいつの間にか、心を鷲づかみにされ、彼ら全員に対して祈りたい気持ちになっていた。人生とは、どんな立場に置かれている人でも、ほとんどすべての人にとって、イージーなものなんかでは絶対にありえない。どんよりと曇った世界で、悲哀や恐怖から目を背け、苦悩から目を背け、何事もないようなすがたを演じながら、虚飾にまみれて生きている。そのすべてが掻き剥がされ、自分の生きてきた軌跡が、その結実が、白日のもとに晒される。そんな瞬間は、いまを生きている我々全員が、必ずいつの日か対峙しなければならない最も峻厳な瞬間だ。それを目の当たりにしたとき、そこに溢れ出た感情がどんなものであれ、それにケチをつけることなど、誰にもできないのではなかろうか。ホントに何とも言い難い余韻を残す、とてもとても興味深い映画でした。危うく食わず嫌いを発揮して、見向きもしないところでした。見てよかった。見てよかった。
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