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ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンのyoのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

規則的な動作は、それによって日課を効率的にこなせるという、経験と知恵の結晶でもある。それを淡々とクリアしていくことが、僅かながらも精神的な安定を彼女にもたらしてきたのだろう。
初めてそれが崩れたのは、(あくまでも映画の中での)2日目にとった客を見送る際だったと記憶している。玄関で電気をつけるタイミングが少し遅れたのだ。
彼女の行動の乱れは、苛立ちのみならず、多くのノイズ(食器や靴ブラシなどの不快な衝突音や、ハイヒールが発する不安定なリズム)を生み出す。そんな不穏な空気を強く感じる一方、1日目には見向きもしなかった赤ちゃんを歌いながらあやすシーンでは、もしや彼女は自由に向かうためのポジティブな変化を遂げようとしているのではと、かすかな希望を抱きたくなった。しかし、赤ちゃんの激しい泣き声は初めこそコミカルに聞こえるものの、彼女が執拗にあやすうちに、ただの騒音(苦痛)へと変化してしまう。

ダイヤルMを廻せ!を観ていた人はきっと、ハサミを見た瞬間に私と同じ何かを予感したのではないだろうか…。
(関係ないが、個人的にはじゃがいもの皮を剥くシーンも、美しい手捌きに見惚れつつも若干の恐怖を感じてた…)

廊下の電気が、隣接する部屋のヒーターを照らす間接照明になっていたというのがわかるシーンは、とても工夫されているなとシンプルに感動した。
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