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ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンの3104のレビュー・感想・評価

4.1
長い題名。
そして長い上映時間。
タイトルはとにかく(しかしこのタイトルでしかない、と思う)、上映時間の長さは“映画的省略”がなされていないせいだ。
真っ直ぐな構図で監視カメラのように部屋の各箇所に備え付けられたカメラ。それが淡々と、黙々と未亡人ジャンヌ・ディエルマンの1日を映し続ける。

朝起きる/靴を磨く/朝食を作る/息子と食べる/息子を送り出す/朝食の後片付け/買い物に出かける/家事/昼食を作る/食べる/隣人の赤ん坊をわずかな時間預かる/引き取りに来た母親に赤ん坊を渡す・・

こういった日常が、“省略”なしに定点カメラで描かれる。特にキッチン、リビング、ベッドルームなど部屋を何度も移動する辺りは~ドアの開閉音がアクセントの役割を果たす~は、ミニマルミュージックのような繰り返しのよう。無機質なグルーヴの波が押し寄せてくる。

午後のわずかな時間。彼女は家に客を招き(生活費を稼ぐためか)「売春」を行う。
言ってみればここだけが「普通の主婦、普通の生活」と異なる場面。そのせいもあるのか売春をしている場面、ドアの向こうのベッドルームに消えた後は全て“省略”される。つまり彼女にとってもここだけは非日常ということか。

客を送り出す/入浴/風呂掃除/夕食を作る/息子が帰ってくる/一緒に夕食を摂る/後片付け/息子と会話/音楽と編み物/寝る。
やや退屈で冗長なリズムに乗せて、彼女の「Day 1」が終わる。暗転。

朝起きる/靴を磨く・・
「Day 2」「Day 3」も同じことの繰り返し。同じリズムが奏でられる。しかし微妙に何かが違う?
息子を送り出す/朝食の後片付け/買い物に出かける・・
おそらく「Day 1」以前も何度も何度も同じ事を繰り返してきたのだろう。でも何かが違う。家事の順序を間違えたり、買い物を間違えたり、部屋を移動するも用事を忘れたのかまた引き返したり。
具体的な説明のカットやましてや心情吐露の類が一切なく、ただミニマルな動きの中のわずかな「変調」が顕わになっていく。退屈だったリズムの上に加えられる、不気味な旋律やフレーズ。
陳腐な言葉だが「怖い」。そして不謹慎ながらワクワクしてしまう。

そんな日常と不穏の果ては今まで映さなかった場所、映さなかったアングルにより紡がれる。退屈の繰り返しのコーダ(終章)は不意に唐突に。ここでこの映画の長さを使って、僕ら観客は彼女の「日常の果てなさ」を疑似体験させられていた事も知る。

ドアの開閉、ものを置く、機械音、歩く音。
それらの音がわざとらしく大きいのが最初から気になっていたが、思えばそれも彼女の「変調」を表していたのだろう。つまりDay 1の前から彼女はバランスを失っていたのだ。
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