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ルパン三世 GREEN vs REDのTutuのレビュー・感想・評価

ルパン三世 GREEN vs RED(2008年製作の映画)
3.0
世界中で暗躍するルパン三世は,背格好も顔さえも微妙に違う別人の集まりだった。その中には,能力が伴わないばかりに何とコンビニで万引きをはたらく者まで現れる始末。「自分」の体たらくに怒ったルパンたちは東京に集結するが,彼(ら)はそこで警察による一斉検挙に合ってしまう。
一方,毎日を無為に過ごしていたある日,スリで巻き上げた赤い袋の中にワルサーP38を見つけたヤスオは緑ジャケットのルパンとして活動を始めるが,軍事組織ナイトホークスが持つお宝「アイスキューブ」を巡って赤ジャケットのルパンと対峙することとなる。「本物のルパン」の座を賭けたヤスオ(ルパン)VSルパン(ルパン)の結末は。

「いつもの」ルパンとは明らかに一線を画す,非常に実験的な作風。一応,お宝を巡る登場人物たちの攻防という本シリーズの基本的な要素を踏襲してはいるものの,そのストーリーは本作にとっての単なる添え物に過ぎない。ルパンとは何かという,存在そのものを問う思想的作品。

ルパン三世という神出鬼没な存在に対する一つの答えとして「たくさんいるから」という大分思い切った設定を提示するのと同時に,国民的アニメの主役のくせに「アルセーヌ・ルパンの孫」ということ以外に出自が明示されないミステリアスさを活かしてルパンの存在そのものを問うという,本作のような実験的な作品が生まれるのは,おそらくこのシリーズにとっての必然であったと言える。サザエさんやドラえもんでは身元が割れすぎていて,こういうのは出来ない。

こうやって強調されてみて初めて,ルパンって随分概念的な存在なんだな,ということに思い当たる。というより,概念的に本シリーズを見れば,ルパンの存在=美学,と言い直してもいいかもしれない。つまりは最後まで美学を貫き通せる存在こそがルパンである,というような。

非常に多くのフォロワーがいる作品なので,原作者が作った土台に,数多くの人間が「理想のルパン像」という美学をベタベタと貼り付けていった結果,ルパンという存在は肥大化すると同時にあらゆる種類に細分化され分散化するという,随分と矛盾を孕んだ状況になっていく。大きくなりすぎた数多のルパンはある時は自己を肯定し合ったり,否定し合ったりし始める。
そんな混沌状態にまで進化した作品において,必ず現れる表現方法だな,と本作を観て思う。ルパンという作品群の現状説明という意味合いで鑑賞した側面も強いけど,これまでのシリーズに強くマンネリを感じていた僕としては,本作で提示する「ルパンらしさ」さえ貫いてさえいればもっと何でもできるシリーズなんだという,以降の作品に期待を持たせてくれるような作品でもあったような気がする。

本作はしばしば難解だと評される。こういう作品を観るといつも思うことだけど,概念的なお話を無理やり理解の範疇に置こうとする行為は,本作に沿って言えば「誰が本物のルパンなのか」を無理やり決めようとする行為に近い気がして,僕の思う美学とはちょっと相容れないように思う。ふわふわした表現ではあれど本作はちゃんとルパンという存在を説明してくれているので,僕は理解するよりも,ふわふわした言葉をそのまま受け止めることにした。考えることの放棄でもあるかもしれないけど。
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